※本文中の役職等は取材当時のものです。

「81点」を確実に 電顕の世界にはまる

「データとスピード」がモットーと今野さん
「データとスピード」がモットーと
今野さん

(株)日立ハイテク・コアテクノロジー&ソリューション事業統括本部事業戦略本部長

今野 充(こんの みつる)さん

(平成5年、工業化学科卒)

 「社風ですか?日立は野武士集団といわれましたね」。今野充さんはサラリと言う。総合電機・重電メーカー国内トップの日立製作所を核とする日立グループに属して30年目の2022年4月、計測器・半導体製造装置事業「日立ハイテク」(本社・東京都港区)の機構改革で新設のコアテクノロジー&ソリューション事業統括本部の事業戦略本部長に就任し、忙しい日々を過ごす。近況を本社でうかがった。

 日立製作所の企業城下町、茨城県日立市で育った。無機や有機の化学が好きで工業化学科へ。サークル活動などは特段しなかったが、4年生のほぼ1年間、卒業研究(テーマ「無機材料の合成」)の実験で操作した電子顕微鏡(以下、電顕)の世界にはまった。

 「ナノ(10憶分の1メートル)やピコ(1兆分の1メートル)の微小世界をのぞくのは楽しい。人間の五感ではとらえられない姿があります。天体望遠鏡で星を観測するのと同じ」

 確かに科学の助けなしでは目の届かぬ領域だ。大学の研究室に朝から晩まで、それどころか1週間ほど泊まり込んだという。やがて卒論の季節は終わり、OBの紹介で日立計測エンジニアリングへ入社したのは1993(平成5)年であった。父も日立製作所の発電所部門の元技師。つまり“日立2世”である。

 そのころ茨城県ひたちなか地区には日立計測のほか、日立本体の計測器事業部や電顕・半導体検査機器メーカー「日立サイエンスシステムズ」といった関連会社が集まっていた。日立計測は今野さんの入社5年後に日立サイエンスシステムズと合併。さらに2001年には日立の計測器と半導体装置製造の事業を承継し、あわせて系列3社を統合した「日立ハイテクノロジーズ」(20年に日立ハイテクと社名変更)へ発展していく。業務強化や時代とともに変わる顧客ニーズへの即応が狙いとはいえ、目まぐるしい。

 電顕畑一筋の今野さんは当初の約20年間、ふるさとに近いひたちなか市の那珂工場で研究開発の日々を過ごした。電子線、分光分析などハイテクのかたまりである電顕の解像力は、光学顕微鏡を遥かにしのぐ。「産業材料のほとんどは観察、分析できます。最近では研究室に置いてある電顕を自宅からリモート操作できないかとの注文もある」という。

 まさに技術は日進月歩。その最前線を紹介する4年に一度の第16回国際顕微鏡学会(札幌市、06年)の日立のブースをご覧になった天皇、皇后両陛下(現・上皇ご夫妻)へ電顕をデモンストレーション。また探査機「はやぶさ」が小惑星イトカワから採取(10年)した粒子の分析チームに加わり、走査透過型電顕(STEM)などで粒子表面の宇宙風化を研究し、翌年に共同論文を発表している(英学術誌サイエンス)。

 幅広い対外交流を買われたのか、14年に市場調査のマーケティング部門へ。さらに欧米営業部長のイスにも兼務あるいは専従として4年間座っている。むろん研究部門と縁を切った訳ではないが、「もっとも苦手なことを経験せよということでしょう」と今野さん。いわゆる“タフアサイメント”(困難な仕事を割り当てる人材育成法)だ。

 苦手な英語に取り組みつつ、「毎月のようにドイツやアメリカへ出張した」。そして22年春、いまのポジションへ。分析装置・電顕製品の販路を各種業界のニーズや国内外27カ国・地域の実情に合わせていかに広げていくか。その戦略づくりが役目だ。「組織立ち上げ前の半年間は深夜に目覚めて構想を練ることもあった。すべてはこれからです」と正直だ。

 「ストレス?のん気な性格なのであまりたまりません」と笑うものの、意見を自由に出し合える同僚たちとのビールで流す。それとジョギング。平日は出勤前の早朝、5キロくらいを約30分で走る。週末になれば、その倍の距離はいく。40代最後の記念に参加した第67回勝田全国マラソン(ひたちなか市など主催、19年)で3時間59分37秒と、初マラソンで4時間のカベを切った。なかなかの“韋駄天”である。

 むろん、それと関係ないが、モットーは「データとスピード」。何事も情報を集め、迅速に判断し、的確に進める。「100点を目指すより、ギリギリですが“Aライン”に入る81点を確実に取り続けられればよいと思っています」。肩の力を抜き、“見る・測る・分析する”技術を生かした息の長い成長を考えているようだ。

NEWS CIT 2022年11月号より抜粋