※本文中の役職等は取材当時のものです。

ユーザーとの共感を 働きやすい組織へ

「何のためにデザインするのか考えて」と久保田さん
「何のためにデザインするのか考えて」と久保田さん

コニカミノルタ(株)コーポレートブランド&デザイン戦略部長

久保田 玲央奈さん(くぼた れおな)さん

(平成9年、工業デザイン専攻修士課程修了)

 社員がクリエイティブになる、あるいは幸せを感じるのはどんな時か――オフィス・医療・産業用機器メーカー「コニカミノルタ」(本社・東京)は今年4月の組織改革でデザインセンターに「コーポレートブランド&デザイン戦略部」を新設した。部長に就任した久保田玲央奈さんを都内のオフィスに訪ねた。いささか心理学めいた問答から始まった。

 コニカミノルタは大手写真機材メーカーでは日本で1、2番目に古いコニカ(本社・東京、1873年創業)とミノルタ(同・大阪、1928年設立)が一緒になった会社だ(2003年)。カメラ付き携帯電話(国産品登場は1999年=外付け)の勢いに押され、3年後には両社の祖業であるカメラ事業からも撤退するなど、大胆な転換を図ってきた。

 一方、2社合わせれば230年近い歴史が培ってきた光学やフィルム製造の技術を生かし、ビジネスチャンスを広げている。ファクスやスキャンのほか読み取ったデータを送信できる多機能の複合機、医療用Ⅹ線撮影画像のデジタル化、有機EL照明(面状の発光体)、介護施設向けの安全センサーなどを開発・販売。その一つ一つにデザインがある。

 「いかにユーザーに寄り添って共感し、課題を見つけ、製品として送り出すか。会社のブランドイメージにも直結します。仕事のやりがい、そして働き方改革へつなげていきたい」

 久保田さんによると、官民の間でいま注目されている「デザイン思考」、つまり消費者の求めるものこそ売れるという〝人間中心〟の発想だ。「これまで研究はしてきたが、本格的に着手して間がありません。国内(約4500人)のほか海外にも系列会社を含め約4万人の従業員がおり、徹底には時間がかかりそうです」と謙虚である。

 母の実家がある秋田県男鹿市で生まれたが、育ちは横浜だ。レオナとはアフリカでライオンを指す。九州大で電気工学を学び、照明会社から空港照明工事のためアフリカ諸国へたびたび派遣された父親がつけてくれた。「ノーベル物理学賞(1973年)の江崎玲於奈先生の名と1字違いの同音のせいか、よくゆかりを問われます。関係ないんですが」と笑う。

 子どものころから好きな車をデザインしたいと、本学へ。当時、工業デザイン学科のある大学は少なく、たまたま新設情報を耳にした。この時の父親のアドバイスが面白い。「学科立ち上げに大学はかなり力を注ぐ。第1期生は得だよ」と。

 確かに江戸東京博物館を設計・デザインした建築家、菊竹清訓氏(故人)や資生堂のグラフィックデザイナー、中村誠氏(同)ら〝大御所〟を教授陣に招へい。指導教員の井村五郎教授(同)には「みなと違う観点で物事をとらえよ」と教えられた。

 入学と同時に柔道部へ。実は柔道は初めて。武芸に一途に励む人の間に一度身を置きたいと入ったという。よほど心根は強いとみえる。ところが2年次を前にした春休み、生涯2度目のスキー旅行先(長野県)のゲレンデで転倒。腹部をストックで強打し、内臓が破裂した。救急車で運ばれた病院で手術を受け、1カ月後に戻った東京でさらに1カ月入院するはめに。

 「長野県の病院でお年寄りが車輪の壊れた点滴スタンドを引いて危なそうに歩く姿に、デザインの大切さを実感しました」。快復後、学科の友人とクラブをつくり、さまざまなコンペに応募するようになった。

 卒業し、実習先のGKインダストリアルデザイン(東京)に就職。JR成田エクスプレス車両をデザインした会社だ。3年間、プロダクト(製品)デザインにあたって大学院(1995~97年)へ。製品が環境や人へ与える影響を可視化し、全体の調和をめざす「トータルコーディネイティングデザイン」について論文をまとめ、2番目のデザイン会社で6年働いたあとの2002年、コニカへ移った。ミノルタとの経営統合はその翌年だ。

 「旧K、旧Mといったわだかまりも消えています」。この20年を久保田さんは振り返る。トコトン調べ、悩み、最後はスパッと決めて前へ進む。ポジティブなのだろう。ストレスは最初の会社の元同僚との草野球などで吹き飛ばす。

 毎年、大学で後輩へ話す。「なんのためにデザインするのか考えて、と伝えています。うちの会社はなんのためにあるのか、と社員へ問うのと似ています」。最後は哲学的なトーンになった。4人家族。

NEWS CIT 2022年10月号より抜粋