※本文中の役職等は取材当時のものです。

学びは役に立つ 脱・マインドセットを

「自分でものを考えられる人」と遠田さん
「自分でものを考えられる人」と遠田さん

日本特殊塗料(株)社長

遠田 比呂志(おんだ ひろし)さん

(昭和58年、工業化学科卒)

 近代社会を迎え、塗料産業は発展した。「わが社もそうです。でも私は工業化学を勉強したのに塗料の世界とは無縁だったんですよ」。航空機やロケットの塗料、自動車用防音材などで知られる日本特殊塗料(本社・東京、略称「ニットク」)の社長に一昨年6月就任した遠田さんは〝意外でしょう?〟といった表情で明るく言った。昨年、本社で話をうかがった。

 東京・田端で育った。なぜか物理が好きで、本学では「生体セラミックス用ガラス繊維の強度」について研究。アルミニウムなどを配合した骨の成分に近い無機材料を溶融してガラス繊維をつむぎ(紡糸)、その繊維に細胞になじむ素材をかぶせ(被覆)、組みひもに編む。それを医大の共同研究者へ送ってウサギの大たい骨に埋め、人工骨の再生実験に供したという。

 「アルミなどは元々生体にはありません。その配合やガラス繊維紡糸のドラム回転速度の調整は厄介でしたね」と思い出をたどってくれた。骨に対する関心は「小学生のころスキーや山登り中に転んで骨折したせいかな」という。

 その縁で当時としては最先端、かつその領域では少なかったセラミックス製造会社にエントリー。1次試験はパスしたものの、事情があって2次試験は受けず、大学推薦先に就職しなかった。入ったのは家から比較的近く、同じ研究室の先輩がいたニットク(本社は北区王子)だった。卒業の前年1982年秋のことである。

 ニットクは東京高等工業学校(現・東京工大)助教授の故・仲西他七氏が1919(大正8)年、品川で立ち上げた。30歳そこそこ。「ベンチャーの走り」(遠田さん)だ。航空機がまだ羽布製の時代。しかし、いずれ機体は軽金属(ジュラルミン)製になるとふんだ彼は、金属用塗料の研究も進めた。1930年、それが陸軍に正式採用され、戦闘機を彩った。

 しかし、太平洋戦争に敗れ(1945年)、航空機の国内製造は禁止に。航空機メーカーが相次いで自動車産業へシフトする中で、ニットクはまず屋根瓦用の塗料を開発し建築業界へ、次いで自動車や鉄道車両の防音・防錆(さびを防ぐ)・衝撃防護の塗料や防音・制振(振動を抑える)材を開発、やがて同社のメインとなる自動車部品事業へと進出していった。遠田さんはこの部品分野で技術屋人生をかけていく。

 入社し、先輩に「恨むなよ」と引導を渡されて配属されたのは自動車製品事業部の音響技術部試作課。新設の部署だった。クルマは、エンジンはもちろん、走行中に車体から騒音や振動を発する。このため車体のあちこちに防音材と呼ばれる部品が使われている。防音材とは吸音、遮音、制振の機能を持つ材料のことで、車体の振動騒音現象に応じて材料を選定し、適切な場所に配置されている。これらの実装に必要なのが設計図面だ。

 「ところが私は図面を読めないし引けないんですよ。仕方なく半年ほど専門学校へ夜通い、マスターした。でも、そのおかげで部品の試作から金型の発注、そして量産立ち上げと、部材メーカー、金型メーカー、自動車メーカーの各工場で立ち会って全工程を一人で担当できた。組織(正社員だけで現在約1300人)が大きくなり、分業化した現在では難しいことができる時代だった」と喜ぶ。いまでこそ自動車防音対策の音響設計技術や自動車用防音材のニットクの市場シェアは業界トップクラスだが、「大学の研究室で思考錯誤しながらガラス繊維を紡糸した体験が役立ちましたね」と振り返る。学びはやはり大切なものである。

 以来、自動車製品事業本部一筋。子会社の役員に約1年出向したが、戻って塗料部門を含む社全体の原価管理部長などについたあと、取締役(2012年)をへて社長(2021年6月)に就任した。

 「いろいろな部署を経験し、発想のウイングを広く持つことが重要」と組織をまたいだ人事交流の必要性を社員に説く。「脱・マインドセット(先入観、固定した考え方を捨てる)を、とも言っています。何事にも柔軟に対処しよう、という意味です」。

 ところで、現代の学生は採用面接でどう見えますか?
「実は個性を見分けにくいんです。面接の練習でもしてくるんでしょうか」という。「ともかく自分でものを考えられる人が欲しい。当社は社名に塗料とあるので化学関係の学生はたくさん来てくれます。一方、自動車用防音部品のトップメーカーでもあり、機械や電気を学び、図面を引ける学生にもっと入ってもらいたいですね」と付け加えた。

NEWS CIT 2023年3月号より抜粋