※本文中の役職等は取材当時のものです。

工機に注ぐ技術者魂 車への夢、曲がりくねって

望まないセクションでしたが……と通崎さん
望まないセクションでしたが……と通崎さん

(株)三興エンジニアリング社長

通崎 篤(つうざき あつし)さん

(昭和56年、機械工学科卒)

 「効率のよい、使いやすい設備づくりこそ技術者魂です」。こと技術開発へ話が及ぶと、立板に水だ。楽しそうに話す。チャレンジ精神を胸に、経営トップとして三興エンジニアリング(SEC、社員122人)を引っ張って半年。渡良瀬川そばの本社(群馬県桐生市)で抱負をうかがった。

 本学を出て入社したのは「ミツバ」(桐生市、約3900人。当時は「三ツ葉電機製作所」)。燃料を使わず走るワールドソーラーカーレースの車体に「MITSUBΛ」マークがあるのに気づいた人は多いはず。自動車ワイパーシステムでは世界4大メーカーの一つに数えられる小型モーター製造会社である。

 SECはその子会社。2016年「三興電気」から社名変更、翌年には三興建設株式会社と合併した。電気・空調工事・土木工事の設計施工からFA自動機・機械装置の設計製作まで総合エンジニアリング企業だ。

 北海道美深町で生まれた。幼いころから車好き。スマートなトヨタカローラクーペ(2ドア)が気に入っていたという。「カーデザイナーになりたい」。中学を終えるころ、専門学校志望を打ち明けた。「夢のようなことを」と両親は大反対。その後、父親が群馬県太田市の富士重工へ勤めたのを機に、同県立工業高(機械科)へ進む。

 熱は冷めず、カーデザインを専門誌へ投稿している。「でも才能に限界が」と踏ん切りをつけ本学へ。が、飛び込んだのは自動車技術研究会。

 自動車部とは違い、技術史、デザイン、エンジン構造など基本へ目を凝らす。スピードレースと対照的な「計算レース」に参加した。山中、林野など100~150キロコースを区間に分け、走行距離・タイムを計り、試走車との誤差を競う。「面白かった」。

 アパートに下宿、塾教師や仏壇屋の店員のバイト代で3万円の中古小型車を買い、月に一度、太田市の実家へ往復した。人あたりのよさは仏壇屋“修行”の賜物か。省エネ「波動発電」を卒業研究テーマにし、帰省時に工場見学で訪れた三ツ葉電機製作所へ。

 「車につながる生産技術部を希望したのに、辞令は工機部。暗くて一番嫌なセクションだったんですが」

 車はワイパーをはじめスターター、パワーウインドウ、パワーステアリングなど随所にモーターを使う。小型化・高性能化競争はし烈。そこを外され、がっかりしたらしい。「工機部にいた本学の先輩から『来い』と言われたし」と苦笑する。確かに断りにくい。

 ミツバ、SECには本学出身者が計60人いる。OBを含めれば83人。「社内同窓会の締めは校歌」。絆は強い。今回インタビューに同席してくれたSEC顧問、西山茂さん(65)=元三興建設社長=は土木科卒である。

 話を戻す。ミツバの工機部長から2015年に三興電気専務へ出向するまで30年余ほぼ工機畑一筋。チームリーダー、課長と職責を変えつつ、ホンダアコード(乗用車)の世界最小・最軽量のセルモーターを世に出し、ワイパーモーターの錆(塩害)試験機の技術ではHONDA開発賞を受ける(1996年)などメインの二輪・四輪車の電装品開発に実績を重ねた。2009年には工機部長となり、業界最速の巻線機やロボットの開発など部は技術開発組織として社内認知されていく。

 辛いこともあった。東日本大震災(2011年)。操業の止まった福島工場(田村市)へ若手社員を応援に送った。福島原発から30~40キロ圏。「奥さんが心配し、帰したケースもあります」。

 この間、自動車メーカー各社の外国進出にあわせミツバの工場も日本を含め18カ国へ拡大、出張も増えた。最後の仕事はグローバル化に対応したIOT生産システムのMSL(ミツバスマートライン)構想だ。

 SECのかじ取りは、副社長をへて2018年夏から。親会社向けにモーター製造装置を出荷、インフラ整備も引き受ける。SEC広沢工場を1.5倍に広げ、ミツバの工機部門とSECの工機・制御部門を集約し協業による稼働を2019年秋には実現したいと意気込む。

 「下手ながら」ゴルフも。「土木の人は40℃の炎天下でも平気でプレーできる」。横の西山さんへ感心したような視線を送った。

NEWS CIT 2018年12月号より抜粋