※本文中の役職等は取材当時のものです。

ビッグデータをITに 電波通信の夢、一筋

「まず何に関心を持っているのかじっくり聞くことから」と菅沼さん
「まず何に関心を持っているのかじっくり聞くことから」と菅沼さん

東北大サイバーサイエンスセンター教授

菅沼 拓夫(すがぬま たくお)さん

(平成9年、情報工学専攻博士課程修了)

 子どものころから通信一筋――“電波少年”だった菅沼拓夫さんの印象は、そんな言葉がぴったりだ。情報やコミュニケーションを通し、人間性豊かな社会をいかに築くか。東北大片平キャンパス(仙台市青葉区)にある、まだ真新しい電気通信研究所本館の研究室でうかがった。

 研究所本館は東日本大震災(2011年)の3年後に新築された。材料、デバイス、通信方式、ネットワーク、人間情報、ソフトウェアなどハードからソフトまで多彩な研究者を擁する。

 その1階資料室。八木秀次氏(テレビ・無線電波用アンテナの発明)▽岡部金治郎氏(電子レンジのマグネトロン発明)▽西沢潤一氏(光通信基盤創造)ら7人の業績が展示されている。戦前から現代にかけ、研究所が輩出した大家たちだ。

 「八木・宇田アンテナが象徴ですが、片平キャンパスはアマチュア無線マニアの聖地なんです。あこがれのキャンパスで研究でき、本当にうれしい」

 と、菅沼さん。研究所の関連部局であるサイバーサイエンスセンターの情報通信基盤研究部を預かり、教育とともに、最新の発想で情報技術の実用研究をしている。

 長野県上田市で生まれ育った。第4級アマチュア無線技士の資格を取ったのは小学6年生のとき。「CQCQCQこちらは~」。自営業の父に装置を買ってもらい、音楽教室へ通うかたわら、英会話も勉強し、見えない電波を介して見知らぬ人と結ばれる楽しさを覚えた。「コミュニケーションに興味を抱いたのもこのころ」という。

 そのまますくすく成長し、長野県立高から本学へ。情報工学科の第1期生だ。学部時代は東京・新小岩のアパートに下宿した。津田沼キャンパスと電気街・秋葉原のほぼ中間だから。入れ込みようは半端ではない。

 「講義より電気研究部(サークル)に入りびたりでしたね」

 芝園キャンパス(現・新習志野キャンパス)の茜浜運動施設にはアンテナに絶好の鉄塔があり、部室に泊まり込み、アルゼンチンなど地球の反対側とも声を交わした。制限時間内で交信国数・局数を競う国際コンテストが結構ある。「3度、ワールドチャンピオンになった」。当時10数人いた部員が声を枯らしてコールし続けた成果だ。それにしても、すごい。

 研究者を志し、インターネットに関する英文記事の翻訳バイトなどをしながら、修士さらに博士課程へ。「泊まり込み先が部室から研究室に変わりました」。研究主題はネットワーク上のコミュニケーション。指導教員が東北大OBだった縁もあり、修了と同時に助手として現研究所のコミュニケーションネットワーク研究室へ属したのが22年前である。

 准教授をへて2010年教授に。東北大の電気・情報系において、私学出身者の就任は珍しいといわれる。「上田で過ごした期間より仙台暮らしの方が長くなりました」とにっこり。

 研究部には准教授や外国籍の研究員のほか、中国や南米からの留学生を含め20人の院生・学部生がいる。この春には本学から学部生をひとり、院生として迎える予定だ。社会で実際に役立つサービスとは何かを考え、人の動きや自然環境などさまざまなビッグデータをITにつなげ、実用化を目指す。例えば――。

 市民マラソンなど多人数参加型屋外イベントでのヘルスケア▽都市部高解像度ヒートマップによる熱中症予防▽災害時の重要情報相互保存ネットワークシステム▽子どもやお年寄りの見守りセンサー▽映像からの忘れ物検出システム――など応用範囲は広い。こうした機能を使ったスマートシティの実証実験を仙台やヨーロッパの都市で行っているという。

 「テーマを絞り切れぬまま研究室に入る学生もいるので、まず何に関心を持っているのかじっくり聞くことから始めます。私自身、何事もマイペースで、学生にはめったに怒りません」

 おっとりした性分だが、かなりの凝り性と自己分析する。クラシック音楽を聴いたり、2人のお嬢さん(小学生)と一緒にピアノを弾いて気分転換を図る、よきパパでもある。

NEWS CIT 2019年1月号より抜粋