※本文中の役職等は取材当時のものです。

学びに無駄なし
人生に夢を抱け

「想像~創造」スピリットを呼びかける角畑さん
「想像~創造」スピリットを呼びかける角畑さん

ビニフレーム工業株式会社顧問

角畑 健博(かどはた たけひろ)氏

(昭和51年、工業経営学科卒)

 勉強も遊びも、学生時代の体験はすべて役立ちました―富山県魚津市に本社を構える中堅アルミ建材メーカー「ビニフレーム工業」顧問、角畑健博さんは、ユニークな発想の持ち主だ。厳しい業界にあって、あえて「なまくら」を自称し、時代のニーズを先取りする経営を目指した。いわく、「学びに無駄なし、人生に夢を抱け!」。

 会社員である父親の勤務地だった富山市で生まれ、ここで中高と過ごした。本学在学中は、やはり父と同居の横浜暮らし。100メートル12秒台の韋駄天ぶりを買われ、高校時代は陸上部に加わり、本学でも入学直後、陸上部へ。「でも、練習する検見川グラウンドまで遠く、1カ月ほどしか続きませんでした」と角畑さんは笑う。

 数学好きの理系タイプ。ただし電気や化学は不得手で、工業経営学科を選んだ。が、1、2年生でとるべき体育の単位は落とすは、講義にも熱は入らなかった。代わりに張り切ったのがマージャン。1年生のとき初めて友人に手ほどきを受け、本で独修した。「4人でやるゲーム。勝率は25%。それより少し勝つ回数を多くすれば損はしません」。なにやら会社経営にも一脈通じる話ではないか。

 ところが、“ぬるま湯気分”は4年生になって卒業研究に着手した途端、吹き飛ぶ。

 学友3人の共同テーマは、「行列待ち理論による最適人員配置」。実習先の千葉県内にある大手金属製造工場から「ぜひまとめて」と宿泊所まで提供してもらいスタートしたものの、1カ月たっても見当はつかず呆然自失。結局、ストップウオッチ片手に作業員のあとを追いかける動作(動線)研究を展開した。そのデータをもとに社幹部を前に、「余った人員は他の部署へ回せます」とレクチャーした。返ってきたコメントは単純明快、「余剰人員が出たら切ります」。

 それが企業というものかと考えさせられつつ、体育の単位を4年生になってクリアし、恩師の紹介でふるさと富山県のビニフレーム工業へ。しかも、樹脂技術部に配属早々命じられた仕事が卒業研究そっくりの工場人員見直しだったというから、現実の厳しさを2度味わうことになった。

 「勉強って面白いもんだと実感しましたね。もっともっと真面目に取り組むべきだったと悔いています」

 同社の設立は1962(昭和37)年。まず塩化ビニール、さらに素材をアルミへと広げ、家具や建材、ICマガジンケースなどを製造・販売してきた。住宅、IT需要をバックに「倍々ゲームで躍進」(角畑さん)。原料の選定・配合、金型づくりなど細かい知識と技術が求められる。それを吸収する機会は大学にこそあったからだ。

 親会社の日本カーバイド工業(本社・東京)へ一時、出向・転籍した。その後、取締役としてビニフレーム工業へ戻り、営業本部長をしたあと2006(平成18)年、初の社内生え抜きの社長(5代目)に。会長職へ移る2013年4月までの7年間、約220人社員の組織の舵取りを任された。

 経営哲学がまた面白い。仮に100万円稼ぐため8時間働くとしよう。次はこれを5時間に縮める。「楽してもうけよう」と社員に説いた。

 一方で、新領域を開発していく。社長就任後、不採算部門の整理などと並行し、雪に強いカーポート、LED(発光ダイオード)照明管、高機能性複合サッシ、門扉といった新商品を送り出してきた。ビル用アルミ手すりではかなりシェアの高い商品もある。

 吉田松陰の名言「夢なき者に成功なし」を好む。なにをしたいのか理想を抱き、計画し、実行せよ、という意味だ。ちょうど社長6年目に迎えた創業50年を記念して社内に掲げた「一歩先んずる発想 想像~創造へ」のスピリットを若い学生たちにも期待してやまない。

 2014年4月に会長職から顧問へ。「退職するとき、『なんていい会社にいたんだ』と社員に言われるようやってきました。でも社長を辞めてよかったのは、気兼ねなく社内マージャンが打てるようになったことですね」。

NEWS CIT 2014年6月号より抜粋