※本文中の役職等は取材当時のものです。

香りの世界に挑戦
「誠実に生きろ」の教え

「もっと広く勉強しておくんだった」と山宮さん
「もっと広く勉強しておくんだった」と山宮さん

高砂香料工業(株)執行役員

山宮 明(やまみや あきら)氏

(昭和51年、工業化学科卒)

 香りは無限に近い。いかなる調香も可能な時代だ。例えば、あなたが空港の滑走路の端に立っているとしよう。その頭上を今まさにジャンボ機が舞い上がっていく、その音と風と響き…「これを香りで表わすとしたら?考えるだけで面白いでしょう」。高砂香料工業株式会社執行役員(フレーバー事業本部副本部長)の山宮明さんは都内にある本社で楽しそうに笑った。

 高校時代まで群馬県前橋市で過ごした。一浪ののち、「工業系では唯一、入試科目に社会科があったから」と本学へ。入った千種寮で同室になった弓道部の先輩に、「少林寺拳法をやるつもり」と打ち明けたところ、正座したまま2時間コンコンと“説教”され、入部する仕儀に。それまで弓は触ったことがない。

 津田沼キャンパスの一角にある弓道場で練習し、初段をとった。関東理工系大学対抗戦で優勝するなど、弓道は性に合っていたのかもしれない。かたわら寮の第1棟長(1974~75)として活躍し、寮の指導教官も気軽に訪れ、コンパの輪に加わり、麻雀の卓を囲んだ。

 このころ、全国の大学は学費値上げ反対闘争で揺れた。本学も例外ではない。学科ごとに闘争委員会を組み、工業化学科の学生も学内デモをし、授業をボイコット。そこへ他学のセクト(過激派)が顔を出す。「介入は断固拒みましたね。大学側もそれで安心したのか、学生大会で我々の値上げ撤回要求をのんでくれました」(山宮さん)。

 教官から与えられた4年の卒業研究「クロルベンゼンのエチル化における撹拌性能の影響」を、「あと1年残って続けるべし」と尻を叩かれながら、なんとかこなした。第2次石油ショックで工学部系の就職は“厳冬の時代”だったが、先輩の紹介してくれた高砂香料工業の貿易部門を代行する関連会社に内定。が、卒業に不可欠な体育が未修得。「『単位をよろしくお願いします』と教授に頼むと、『矢をくれれば認めようか』などと応じてくれる、こせこせしない時代でした」と山宮さん。

 偶然ながら、この卒研テーマはやがて身を置く香料つまり有機化学(亀の甲)の世界だった。「でも、専門必修16科目はぜんぶ無機化学でとりました。有機は単位を落としてしまって。もっと広く勉強しておくんだったと痛感しましたね」。知識はいつ、どこで役立つか分からない。

 卒業後の弓道部OB会で同期の奥様(本学建築科卒)を改めて見初め、社会へ出て4年目にゴールイン。ただし3段の腕前で、道場では「上座」を占める。そう話す表情には、いくぶん複雑なものがにじまないではない。

 入社翌年には親会社の高砂香料工業へ移り、一貫して営業畑を歩いてきた。新婚時代の福岡支店勤務を皮切りに、名古屋支店長、中国・上海にある子会社の社長、大阪支店長(執行役員)をへて、2014年6月にいまの立場についた。缶コーヒーのエキスを製造し、コーヒーメーカーへ卸す高砂珈琲株式会社(東京)の社長も兼務する。

 食品や飲料用のフレーバー、香水や化粧品、家庭用品向けのフレグランス。その素材となるアロマケミカルを製造する「不斉合成」技術では、高砂香料工業は業界をリードする。少子高齢化の国内から国外へとマーケットの視野を広げる。新卒の応募が殺到する人気企業だ。

 母校を後にして38年。今でも山宮さんの耳の奥には、卒業を前にある教授の贈ってくれた言葉が残っている。人生をマージャンにたとえ、こんな風に“訓示”してくれた。

 『人生、カンチャン待ちになるな。両面待ちで、しかもリーチを宣言せよ』『頭で勝負するな』『出世を狙うな。世の礎たれ』

 「正々堂々、うそをつかず、誠実に生きろ、ということでしょう」。時間があれば、趣味の園芸に精を出す。長男も本学(機械サイエンス学科)OBの、“工大ファミリー”である。

NEWS CIT 2014年9月号より抜粋