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2017.9.15

「メテオ」の意義語る


PERC荒井研究員、秋山研究員 野口宇宙飛行士と
バラエティー豊かな本学の宇宙研究について話し合う秋山主席研究員(左)と野口さん、荒井主席研究員
バラエティー豊かな本学の宇宙研究について話し合う
秋山主席研究員(左)と野口さん、荒井主席研究員
 惑星探査研究センター(PERC)の荒井朋子、秋山演亮両主席研究員がJAXA宇宙飛行士の野口聡一さんを交えて8月30日、「メテオ」プロジェクトなど本学の宇宙研究の最前線について熱く話し合った。
 流通最大手のイオン(株)がボーイスカウト日本連盟とともに今年4月から全国規模で展開している「全国防災キャラバン」のイベントの1つ。会場のイオンモール幕張新都心グランドモールには大勢の親子連れが詰めかけ、千葉工大の“未知なる宇宙”を解明するための研究員の取り組みやエピソードに熱心に耳を傾けていた。
 この中で荒井主席研究員は流星という意味の英語「メテオ」プロジェクトについて、①地球に降りそそぐ宇宙のチリに含まれている有機物が、地球生命誕生の始まりになったのではないかという仮説を検証するための研究②宇宙のチリが地球の大気圏に突入する際に流星となって発する光を分析すれば、チリをまき散らしている元の天体の正体を知ることができる③この流星観測のために国際宇宙ステーション(ISS)に高感度カメラを設置し、2年間の計画で観測している――などと説明。
 しかし「観測開始までに、カメラをISSに運ぶロケットが2度も爆発してカメラが失われてしまいました」と話すと、会場から驚きの声が漏れていた。
 また、荒井主席研究員の説明を聞いた野口さんは「ISSの宇宙飛行士も地球撮影の最中などに流星を見ることはあるが、あくまでも偶然。メテオプロジェクトの素晴らしいところは、2年間観測を継続して行うという前例のない研究であること」と称賛していた。
 秋山主席研究員は、自らが理事・事務局長を務めている高校生の「缶サット甲子園」やPERCが進めているモンゴルでの小型気球プロジェクトなどを紹介。会場には千葉工大への親しみと研究への理解が広がっていた。
ロケットの発射体験も
和田准教授が指導
 同じ会場で、機械電子創成工学科の和田豊准教授(PERC非常勤上席研究員)が指導する「エアロケット発射体験教室」も開かれた=写真
 「ロケットと飛行機や自動車の違いは、空気のない宇宙を飛ぶためにロケットは燃料の他に酸素を持って行くこと」
 和田准教授から“ロケットの基礎知識”を聞いた子どもたちは、保護者と一緒にエアロケット作りに挑戦。
 まず、プラスチック製のフィルムケースの筒に厚紙の羽とノーズコーンを張り付ける。出来上がると圧搾空気を使った発射台に取り付け、スイッチボタンを押すと、ロケットは「ポーン」と大きな音とともに空中へ。
 会場には子どもたちの歓声が響いていた。

望遠鏡のぞき笑顔


御宿で天文研 星空教室
 本学天文研究部(部長・舘山祥之さん=金融・経営リスク科学科3年)主催の「星空教室in 御宿」が8月5日、御宿研修センター(千葉県夷隅郡御宿町)で開かれ、御宿小学校、布施小学校の児童・保護者40人が、勉強会や星空観察を楽しんだ=写真
 子どもたちに美しい星を見てもらおうと企画し今年で3回目。
 午後5時半から研修センター内でクイズ形式の「星のお勉強会」。部員たちが「今夜8時頃に見える星座は?」「夏に見える星をつないだ形の名前は?」「太陽系で一番大きい惑星は?」と、子どもたちに問いかけ、動画やイラストで解説。折り紙を折るなどして、日の入りを待った。
 夜空はあいにく雲に覆われたが、屋外で星空観察が始まると、子どもたちは順番に望遠鏡をのぞき、ときどき顔を出す月に「きれいだね」と歓声を上げた。
 部長の舘山さんは「晴天でないにもかかわらず、屋外で観察している子どもたちの笑顔がうれしかった。(後輩に)続けていってほしい」と話した。

活躍する校友


IoT時代へ知財戦略
特許バイトが縁、本業に
日本弁理士会会長
渡辺 敬介(わたなべ けいすけ)さん(66歳)
(昭和50年 機械工学科卒)
渡辺 敬介さん
「卒業研究では徹夜もした」と渡辺さん
 知は財を生む。そのエキスパートが、発明、考案、意匠、商標、著作物などの知財の保護と活用を司る弁理士。職能集団である日本弁理士会会長、渡辺敬介さんは東京・霞が関にある同会のオフィスで、「特許は量から質の時代へ変わりつつあり、われわれのスキルを高め、出願を中小企業へ広げたい」と意気込みを語った。
 弁理士になって足掛け30年。日本弁理士会常議員、副会長などのほか、財務省関税局専門委員といった公職を勤め、今年4月、会長ポスト(任期2年)へ。所属する都内の特許事務所の席を温めるいとまなく「ほぼ連日、弁理士会へ出てます」と明るく笑う。
 千葉県佐倉市で生まれた。引っ越し、転校がものすごい。通った幼稚園は二つ、小学校が五つ、中学校も二つ。理由は銀行員だった父の転勤だ。千葉県をはじめ、山梨、栃木、東京と移り、中1の1年間は全寮制ミッションスクールで過ごしている。めげなかったところをみると、相当な社会適応力と言ってよかろう。
 当時実家のあった市川市内の私立高から本学へ進み、自宅通学した。サークル活動はせず、「強いて言えば、大分県出身で同じ科の友人の下宿を“雀荘”にした麻雀クラブ員でしょうか」。
 東京駅構内でのバイトは今でも印象深い。駅近くの駐車場に止めた清涼飲料の冷蔵車とホームの売店などを台車で往復、必要な数を補充して回る重労働だ。3年次。疲れて戻った自宅へある夜、友人から電話が入った。「製図の課題を明日までに出さないと留年だぞ、知ってるのか?」。
 友人の下宿へその夜、駆け込んだ。徹夜で仕上げ、難を切り抜けたという。持つべきものは友である。
 その彼らとアルミ合金板の破断実験(アルミ合金の小片を両側から引っ張って強度を測り、JIS規格と比較)をひたすら続け、卒業研究をパスした。「切れる瞬間のデータを記録するので目は離せず、徹夜もした」と少し遠くを見つめた。
 弁理士の世界との縁もバイトからだ。今なら就職戦線真っ盛りの4年生の春――当時、会社探しの本格始動は夏だった。父の知人を介して特許事務所で書類の整理やコピーに精を出していた。「キミも一度書いてみないか」。スタッフに励まされ、好奇心旺盛な渡辺さんはガスパッキングの特許に関する意見書と補正書にチャレンジ。
 特許はふつう「出願→審査→査定→登録」と進む。審査段階で新規性や進歩性欠如などの拒絶理由(特許法49条)に該当すると特許庁が判断すれば、「拒絶理由通知書」が届く。出願人は反論の意見書、発明の特徴的構成を是正する補正書を出す。指導されながら書いたのはこの書面だ。「あれ、特許になったよ」。しばらくしてそう言われ、びっくり。所長も「この仕事向いてるね」とほめ、卒業後そのまま今の事務所に腰を落ち着けた次第である。
 「それからがもっと大変でした」。弁理士への門戸(試験合格率)は知財人材増員のため今でこそ7〜10%と広くなったが、30年ほど前は3〜4%の超難関。法学、理学、工学にまたがる受験科目は広く、細かいので、予備校へ通うか、仲間でゼミを組んで備える。「10回以上受験しました」と渡辺さん。理系出身者は少なくない。
 液晶ディスプレー、プラスチック加工機械などの特許、実用新案に関わった。しかし近年、ドイツが「第4次産業革命」でオーダーメード商品開発への移行を唱えるなど知財のあり方も見直されている。特許でいえば日本国内の出願は減る半面、条約加盟国ぜんぶを対象にできる「PCT出願(国際特許出願)」が増え、係争(パテント・トロール)も国境を越えつつある。
 一方で埋もれた知財は少なくない。「特許出願件数でみると、民間会社の99.7%を占める中小企業からの割合は約15%。知財戦略をアドバイスし、利益が出るよう支援していく」。山歩きや50歳を過ぎて飲み仲間と始めた“おやじバンド”でギターを奏で、♪スタンド・バイ・ミー♫などを歌ってストレスを発散しつつ、知財セミナーや弁理士会の支部会合などで全国を奔走中だ。