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2016.10.15

日仏教育学会 本学で初開催


橋口教授が理工系教育説明
 フランスの教育を研究する大学教員などで構成する「日仏教育学会」の2016年度研究大会が10月2日、新習志野キャンパスで開かれた=写真下
 本学では初開催のこの大会は、同学会の理事で創造工学部教育センターの古賀毅准教授が開催委員長を務め、各地から約50人が参加。大学での「教育」の課題や可能性について、日仏両国の事例を通して考察した研究成果の発表とシンポジウムが行われた。
 本学からは橋口秀子教授(工学部教育センター・写真右)が「理工系大学における数学教育の課題と学力向上への取り組み」(花田孝郎教授/星野慶介准教授との共同研究)と題して発表。参加者から、私立大学の比重が高い日本の大学教育が抱える大きな問題―学生の学力格差の是正―に長年にわたって正面から向き合い、学力向上に地道に取り組んできた姿勢に称賛の声が聴かれた。
 注目されたのはフランス・ポワティエ大のロミュアルド・ボダン准教授の基調講演。
 「フランスの大学における教授法、学生の歩みと学問分野ごとのマトリックス」と題したこの講演で同准教授は、統計などを駆使した分析や調査で学問分野(ディシプリン)がそれぞれに持つ固有の背景や特徴を明らかにしたうえで、各分野に特徴的な教え方があること、従ってともすれば画一的になりがちな教授法の研究も学問領域ごとに整理し、深化させるべきだと示唆した。
 大会後の懇親会であいさつした小宮一仁学長は「土木工学はローマ時代からあるが、長い間単なる技術に過ぎなかった。これを学問として体系化したのは18世紀のフランスである」と、自分の専門を例に引きながら、「本学は国際化を積極的に進めており、フランスを含めて世界とますます活発に交流していきたい」とアピールした。

前期グッド・レクチャー賞10人


 平成28年度前期のグッド・レクチャー賞に10人が選ばれ、小宮一仁学長から表彰された=写真。このあと後期の授業アンケート結果と合わせ、ベスト・ティーチャー賞が決定する。前期グッド・レクチャー賞受賞者とその講義は次の通り。
 米田完教授「ロボット制御学」、「ロボット機構学」▽市川洋子助教「心理学」▽佐藤宣夫教授 「電気回路及び演習1」▽福嶋尚子助教「現代社会論」▽井上泰志教授「材料物理学」▽鴻巣努教授「プロジェクトマネジメント概論」、「ユーザビリティエンジニアリング」▽田隈広紀准教授「プロジェクトエンジニアリング」▽東條晃次教授「数学基礎」▽南澤麿優覽准教授「環境科学概論」▽引原有輝准教授「スポーツ科学」(順不同)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆

実験動物 慰霊祭開く


 実験動物の平成28年度慰霊祭が9月21日、津田沼校舎2号館で行われた=写真。教育研究に貢献してくれた実験動物を供養するため毎年開かれている。
 小宮一仁学長と教職員・学生約100人が参列。順番に献花し、動物たちに感謝と哀悼の意を捧げた。
 本学は科学技術の発展がこれら動物たちの犠牲の上に成り立っていることを再認識し、強い倫理観を持って教育・研究を進める。

活躍する校友


学んだ知識が生きた
印刷業から瓦業へ
株式会社鶴弥常務取締役
山内 浩一(やまうち こういち)さん(60歳)
(昭和55年、工業経営学科卒)
山内 浩一さん
「勉強にしろ遊びにしろ、何でも体験を」と山内さん
 家造りで肝心なのは風雨を防ぐ屋根。「だが、この業界へ入るまで興味がなかったんですよ」。愛知県を地盤にする三州瓦製造のリーディングカンパニー「鶴弥」常務取締役、山内浩一さんは苦笑を交え、そう打ち明けた。武道6段の強者とは思えぬ穏やかな口調である。
 粘土瓦の3大産地は、三州瓦をトップに、石州瓦(島根県)、淡路瓦(兵庫県)。そのいずれとも山内さんにゆかりはなかった。北海道での高校を終えるまで炭鉱で栄えた芦別市と工業都市・苫小牧で育ったからだ。千葉市内に住むおじを頼り、首都圏に近い本学へ。
 キャンパスライフの中心は、4年間を過ごした「工業経営研究会」サークルであった。中高生のころ部活や町の道場で鍛え、剣道3段、柔道2段、空手初段の腕前。もし武道3種競技でもあればノミネートされそうだが、「大学では文化活動を」と同研究会を選んだという。
 軽井沢や逗子で合宿し、芝浦工大など他大学と交流を重ねた。約40人いたメンバーの注目は、そろそろブームになりかけのコンピューターゲーム。穴を打った紙テープの信号をもとに、ブラウン管上でピンポンやテニスのボールを往復させたり、ドライビングゲームの画面などを作った。初歩の初歩だ。
 2年になって1年間世話になったおじの家を離れ、大学からそう遠くないところに下宿した。当然、たまり場に。家庭教師のバイトなどをしていたが、ぜいたくなことに部屋へ“家電(いえでん)”を引いていた。酒が入り、「実家へ掛けていいかな」と受話器を握られたら断れるはずはない。沖縄、熊本、同郷の北海道へと友人らはダイヤルしまくり。「翌月の請求額は万単位。びっくりでした」。楽しそうに思い出す。
 もうひとつ、脳裏に焼き付いていることがある。3年次、大学祭を手伝った。ヒット曲『飛んでイスタンブール』などで知られるシンガーソングライター・庄野真代さんの事務所へ行き、「出演してください」。上首尾で進み、歌声は津田沼キャンパスに響き渡ったが、「別世界をのぞくようで面白かった」という。
 人生を変える出会いは4年次にやってきた。無駄を省く「トヨタ生産方式」を卒業研究テーマに、愛知県豊田市の関連会社寮で約1カ月世話になった。名古屋市内にいた別のおじが知り合いの会社を推してくれた。ときに、のどから手が出るほど企業が人を求めたバブル経済(1986〜90年)の門口まであと約6年を要する就職困難期であった。
 ともかく、卒業と同時に笹徳印刷工業(現・笹徳印刷、愛知県)へ入社。トヨタ自動車のニューモデルの印刷や株式上場準備室などを担当し、今いる鶴弥へ円満に迎えられる1990年まで10年勤め、その間、地元出身の奥さんと結ばれた。
 「まだインクの香り漂う新車カタログのゲラ刷りを東京のデザイン事務所へ届けるため作業服のまま新幹線によく飛び乗った。周りはほとんどスーツ姿。いささか恥ずかしかった」
 そこから180度異業種の瓦メーカーへの転身も勇断といえよう。しかも「大学で学んだ知識がやっと生きた」というから、人生何が幸いするか分からない。
 最初は株式上場の準備を担い、それが済むと製造部門へ。約200種類、色だけでも30種類は下らない瓦の世界。屋根と同じく形状は複雑で、自動化した工場と自動化になじまない工場がある。いかにロスを低減するか。労働集約型の製造ライン組み立てに本腰を入れた。その後、台風で飛ばない突起付きの防災瓦(スーパートライ110)の開発・製造に携わってきた。業界では「画期的」とされる技術だ(2001年取締役、14年常務)。
 「勉強にしろ遊びにしろ、なんでもいいから体験を。必ず後で役に立つ」と若い人に言ってきかせる。週末にはクラシックコンサートやジャズを聴きに名古屋まで足を伸ばす。小さいころ音楽教室で嫌々覚えたピアノも少し弾く。まさに文武両道。「でも、体の方はもう言うことを利きません」