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2009.11.15

日本ロボット学会
米田教授に「フェロー」授与


先導的活動などを評価
「フェロー」を授与された米田教授
「フェロー」を授与された米田教授
 本学未来ロボティクス学科の米田完教授が9月16日、社団法人日本ロボット学会から2009年度の「フェロー」の称号を授与された。
 日本ロボット学会は、同会が管掌する学術技術分野の発展に顕著な貢献をした正会員、もしくは同会の運営発展に顕著な貢献をした正会員に対し、「フェロー」の称号を授与している。
 米田教授はこれまで、ロボット工学の専門分野で先導的活動をしてきたほか、歩行ロボット研究とロボット工学教育およびロボット学会運営への貢献など、研究と教育、学会運営貢献を総合的に評価された。
 米田教授は称号授与に関し「ロボット学会のフェローは、これまで大先輩の集団だと思っていましたが、今回、若輩者ながら仲間入りさせていただいたことは大変光栄です。地味にやっていたと本人は思っていますが、評価されたことは大変うれしいです。若い人たちの見本になるように、ロボット研究も社会的活動も頑張らなければと思っています」と話していた。
 米田教授は昨年3月、若年者にロボット工学への興味を抱かせたこと、研究者として国際的に活躍したことなど、機械および機械システムとその関連分野で顕著な貢献をした功績が認められ、日本機械学会から「フェロー」の称号を授与されている。

アルミ缶ロボ「ウォーリー」が人気
小樽市でカンアート・フェスタ


阿久澤君、小椋君が出展
ロボット工作教室でも指導
人気を集めた「ウォーリー」と見学者たち
人気を集めた「ウォーリー」と見学者たち
 空き缶やペットボトルのリサイクルについて関心を高めてもらうイベント「2009 CAN−ART(カンアート)フェスティバル」が9月25〜27日、北海道小樽市の運河プラザで開かれ、本学未来ロボティクス学科4年の阿久澤拓巳君と小椋慎祐君が出展したアルミ缶ロボット「WALL・E(ウォーリー)」が来場者の人気を集めた。
 昨年12月、東京ビッグサイトで開かれた日本最大級の環境展示会「エコプロダクツ」で、阿久澤君と小椋君ら本学学生約20人が共同で制作した「ウォーリー」が高く評価され、アルミ缶リサイクル協会から、小樽市で毎年開かれている「カンアートフェスティバル」でロボット工作教室を開いてほしいとの依頼を受け、作品展示が実現した。
 カンアートフェスタに参加した阿久澤君は「子供からお年寄りまで、さまざまな方々にものづくりを教えることができた。また、簡単なものづくりでも人々を喜ばせることができるのだと実感した」と感想を寄せた。
 阿久澤君はまた、「今後は、現在研究している分野をさらに追求し、エンジニアとしてもっと成長したい」と将来への意欲を見せていた。

活躍する校友


サラウンドの世界に魅せられ
「行動すれば世界が広がる」
元NHK制作技術センター長
パイオニア技術顧問(オーディオ担当)
有限会社沢口音楽工房代表取締役
沢口 真生(さわぐち まさき)氏(61歳)
(昭和46年 電子工学科卒)
沢口 真生氏
「興味こそ原点、継続は力」と語る沢口さん
 大阪万博の翌昭和46年。下宿代わりに借りたNHK山形放送局近くの土蔵2階。広さ20畳の空間いっぱいにオーディオ・システムの大音量が響く。外部には一切、漏れはしない。近所に迷惑は及ばぬ。至福のマイ・スタジオ暮らし。NHK技術マンとしての、みちのく社会人スタートは同時に、「音」との二人三脚人生の始まりであった。
 温泉郷・大分県別府。市内唯一の県立別府鶴見丘高校2年の時、ドキュメンタリー本「電子の世紀」に出会う。「研究者ってのはすごいな。技術研究したい」。この本が電子工学の世界へ進む扉を開いてくれた。
 少年のころから鉱石ラジオを作った。高1には物理クラブを級友3人と創部もした。だから、当時、福岡に開学したばかりの九州芸術工科大学への進学を教師に相談するも、すでに一升酒を飲み干すケタ外れのばんから高校生気質、成績は思うように上がらず、「お前の点数ではだめだ」とあっさり袖にされた。しからば、と九州を出て上京、千葉工大への受験に大きく人生の舵をきる。
 千種寮へ入った。ところが、隣の先輩がジャズマニア。ドラムセット一式を持っていて「お前もやれ」。無理やりスティックを握らされた。が、これがなかなかうまい、とおだてられたからか、以来、卒業するまでモダンジャズのドラマー三昧。新宿や千葉へ出かけてはバンド仲間とライブ巡り。ついぞ勉強はしなかった。
 NHK入局もいわば離れ業だった。「技術の世界、出来ればNHKに」と、就職相談。「バカ言え、千葉工大からNHKに行った奴はいない」とまるで取り合ってもらえないまま、千代田区内幸町のNHKに出かけ願書をそっと出した。B、Cの並ぶ成績表をみた担当者は「一応、預かります」。運命は急展開する。何が、うまくいったのか。同期技術職32人の仲間入りを果たしてしまう。千葉工大出身者初のNHK突破だ。
 音は、音楽としか知らなかった。しかし、制作技術センターでラジオドラマのミキシングを担当するようになって、音楽、効果音、役者の台詞という幅広い、奥の深い音の世界にぐいぐい引き込まれていく。やがて、ステレオ2チャンネルでは表現に限界を感じ、新たな音響表現を模索してたどり着いたのがマルチチャンネルサラウンド。毎年、自費でアメリカ、ヨーロッパへ出かけ、サラウンド世界を引っ張る技術者に会い、最新情報を吸収した。1986年にはドルビーサウンドの実情習得のためハリウッドへ飛び、10日間に及ぶ米国映画関係者からの指導やジョージ・ルーカスのスタジオで貪欲に情報を集めた。まさに目から鱗が落ちていった。1987年、テレビ界では世界で初めてサラウンド対応で番組制作が出来る「CD809」スタジオをNHKに作った。こうして得られた知識は、逆に恩返しとAESをはじめとする世界のセミナーや論文発表を行い、サラウンドSYOGUNと呼ばれ始めた。サラウンドという「音場」への不断の努力が結実したのが1995年。第1回IBCグランプリを受賞した、オーストラリアとNHKとの共同制作ハイビジョンドラマ「最後の弾丸」だった。
 音響一家になった。シャンソン歌手の妻美奈子さん(58)はJR三鷹駅前でジャズライブの「UNAMAS」を仕切る。その妻は山形時代、仲間と組んだハワイアンバンドのボーカルだった。長男は、プロのジャズドラマー。「やめとけといったのに」。二男はニューヨークで音響メーカーに勤務する。
 サラウンドの普及と若い世代にサラウンド制作を行ってもらうため今、「サラウンド寺子屋塾」を主宰する。東京芸大の教壇にも毎週木曜日、90分立つ。「異文化へ、違う環境へ、自分で努力して半歩動きなさい。行動すれば、世界が広がるんだ。それが新しい興味につながる」。興味こそ原点、継続は力、と柔和な視線の奥に頑丈な意思を見せた。