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2008.3.15

三井田教授 個人情報保護に多大な貢献


習志野、船橋両市が功労賞授与
三井田教授
三井田教授
 本学情報ネットワーク学科の三井田惇郎教授は2月、習志野市から市政功労賞を授与された。8年にわたり習志野市個人情報保護審議会会長を務め、同市の個人情報保護体制の基盤を創ってきたことが評価された。
 現在、公の機関から個人情報が流出する“事件”が目立つ。その対策として、情報公開の流れの中で個人情報の厳格な保護が要求されるようになり、自治体は体制作りを急いでいる。
 習志野市でも、市が保有する個人情報の取り扱いについて、市民が自分の情報を見たり、正したりできる権利を保障するため、個人情報保護制度を作った。
 市民が自分の情報に誤りがあったとして市に修正、利用停止を請求した場合、市の決定に対して不服があるときは個人情報保護審議会が公平な審査を行うというシステムだ。
 また、三井田教授は、昨年10月には、船橋市政70周年にあたり船橋市特別行政功労賞を授与された。同市情報公開・個人情報保護審議会の副会長として条例策定から運用まで10年間にわたる貢献が評価された。
 同教授は「今回の2つの受賞は、近隣の地方自治体に千葉工大が情報倫理分野でも大いに貢献していることの証明だ」と語っている。

「秘書技能検定」で本学が団体優秀賞


表彰状を手にする磯海課長
表彰状を手にする磯海課長
 財団法人・実務技能検定協会(内田弘保会長)主催、文部科学省後援の平成19年度秘書技能検定で、千葉工業大学が「団体優秀賞」を受賞した。
 秘書技能検定は、就職活動時の履歴書審査段階で、人事採用担当者が「社会人としての常識が身についているか」ということを見るための、一つの基準となる資格。文部科学省の認定で、秘書技能検定対策講座(社会人の一般常識講座)が設けられている。
 本学の学生もこの講座を受講し、毎年2回(6月と11月)行われる検定試験を受験している。
 本学学生の検定成績は、平成19年度6月の2級検定で29人が合格(合格率78・4%)、同11月の2級検定では18人が合格(同69・2%)と高い合格率になった。
 この検定では、その年に優秀な成績で合格した個人や団体を称揚するため優秀賞、優良賞などを授与している。
 2月29日に私学会館(アルカディア市ヶ谷)で行われた表彰式には、磯海善隆キャリアセンター課長が代表で出席、賞状を授与された。

JABEE受審で報告会


各学科が対応、取り組み説明
司会をする多田隈教授
司会をする多田隈教授
 本学は、JABEE(大学などの技術教育プログラムをJABEE=日本技術者教育認定機構=が評価・認定する制度)の受審に向けて、教育の改善を教職員一体で進めるため、一昨年、JABEE運営委員会を発足させた。
 その後、各学科からの代表委員を加え、合同で共通課題の掘り起こしを進めているが、2月12日に、「JABEE推進に向けた進捗状況報告会」を開いた。
 学科によって審査を受ける学会が異なったり、学習・教育目標の立て方や達成方法に違いがあるものの、全入時代に、どう教育プログラムを導入し教育改善につなげるかは共通の課題で、問題点などを共有するために報告会が開かれた。
 会は運営委員会委員長の多田隈進教授(電気電子情報工学科)の司会で進められ、下記の教員たちが報告した。
 ◇機械サイエンス学科・船見国男教授◇電気電子情報工学科・久保田稔教授◇生命環境科学科・尾上薫教授◇建築都市環境学科・上田宏教授◇情報工学科・藤田茂准教授◇情報ネットワーク学科・須田宇宙准教授◇社会システム科学部・井上明也教授◇教育センター・小林憲司教授
 各学科から、達成目標や達成の条件、社会の要求する水準への対応などの取り組みが報告され、教育センターからは、学科との協力体制が不可欠であり、責任は重大という発言があった。
 最後に本岡誠一学長が「JABEEは教育の質の確保が第一の目的だ。教育力を大いに結集して教育に付加価値を付け、卒業時の学生の質を保証する、つまり、社会で認められる学生を育てることが目標である」と語り推進に取り組む教職員の労をねぎらった。
活躍する校友

自力開拓で投資の世界へ
絶対あきらめず、最善尽くす
のぞみ証券株式会社執行役社長
外山 一樹(とやま いつき)氏(58)
(昭和48年 工業経営学科卒業)
富山 一樹(とやま いつき)氏
「気軽に社へ訪ねて来てくだ
さい」と話す外山さん
 工学のフィールドから兜町の荒波へ――東京証券所正会員110社の一角を占める「のぞみ証券」をリードする外山さんは、本学OBとしてはきわめて珍しい人生を歩んできた。
 東京で生まれ育ち、ラグビーで知られる国学院久我山高を卒業した。普通ならそのまま系列の大学へ進むのだが、「文系科目がちょっと苦手だった」ので本学を選んだというところからして、独立独歩の人である。
 入学したのは1969(昭和44)年。東大・安田講堂の攻防の影響で東大がその年の入試を中止したほど学生運動の激動期だった。「通学途中で降りた新宿駅は、安保条約反対のデモを追い散らすため機動隊の放った催涙弾の臭いがかすかに漂っていましたね」と当時を振り返る。
 全共闘運動高揚期が過ぎようとしていたキャンパスは、やがて平穏な時代へ。外山さんは友人に誘われて千種寮へ足繁く通うようになり、後日、NHK技師になる気の合った先輩や同志とモダンジャズバンドの同好会を結成、楽しい時間を送った。
 「本来はロック好き。でも、『それは日和見だ』と言われ、フォービートのモダンジャズを演奏しました。寮では裸祭りを見学したり、まるで寮生扱い。中山競馬場へも年中通った。当たらなかったけど、ハラハラドキドキはあった。勉強? あまり覚えてないなぁ」と明るく笑う。
 運命はどこで変わるか分からない。外山さんにとって、それは4年のゼミ選択のときに訪れた。ひと口に工学系の専攻といっても、生産や工程の管理から経営管理まで幅広い。足の悪い外山さんに工場実習は厳しく、代わってたたいたゼミの門が、沖山正之教授(公認会計士)の財務管理。有価証券のなんたるかから学んだ世界は新鮮だった。「スリリングとも言えた」。
 その夏、当時は福山証券と名乗っていた「のぞみ証券」(2000年社名変更)の玄関を、社員募集広告の載った新聞を手にくぐった。就職課を通さない自力開拓。意外にも採用された。
 法人部に属し、同輩や先輩は優しかったという。都心のオフィスへマイカー出勤し、駐車場から自席まで支えて歩いてくれたり、コピー取りを手伝ってもらったり。トイレまで同伴してくれた人も。
 とはいえ、投資はやはり生き馬の目を抜く世界。浮き沈みは激しく、仕事はきついと推察するが、「親のお金を預かって失敗したこともありますけど、主に顧客の民間会社の資金運用の窓口になるトレーディング業務をこなしてきました」。
 バブル以前、昭和58年頃から銀行の子会社、福山証券は日本債権信用銀行のおかげで、バブルの影響はあまり受けなかった。さらに98年には同行が経営破たん、銀行は一時国有化の憂き目に(現・あおぞら銀行)。
 「知恵を絞ったすえ、再度ディーリングに望みを託した。それがうまくいき、息を吹き返した」。その功もあってか2003年、トップの椅子に。銀行筋でもオーナー筋でもなく、ディーリング畑から初の社内登用で社員130人の先頭に立つ。
 「社長になる直前、株価は7000円台。そのあおりを受けて、のぞみ証券は大ピンチになり、社長交替で私が社長になった。社長になった途端、株価は7000円の大底。もがいていたら外国人投資家が市場に戻り、助かった。ついているのかな。ともかく、やめたら100%ダメだが、くじけず最善を尽くす。そうすれば成功の確率は残る。やりたいこと、やっていることは絶対あきらめないことです」
 司馬遼太郎「坂の上の雲」を愛読する。組織運営の妙、東郷平八郎にひかれるという。オヤジバンドは趣味で続行中だ。
 それにしても本学卒業生は後に続けるのか。「ウチでは1人ですが、優秀な本学OBが中堅トップで頑張っています。みなさんもいつでも気軽に社へ訪ねて来てください」と後輩に声をかけている。