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2014.6.15

出版


宇宙からの脅威 再認識
松井孝典所長
松井孝典所長
天体衝突 斉一説から激変説へ 地球、生命、文明史
天体衝突
斉一説から激変説へ 地球、生命、文明史
著者= 松井孝典(本学惑星探査研究センター所長)
出版= 講談社
価格= 1058円(税込み)
 かつて科学の世界では地球や生物の進化は、長い時間をかけてゆっくりと変化する――という「斉一説」が定着していた。これに対して公然たる批判が展開されたのは1980年、アルヴァレス親子らによって、6550万年前の恐竜をはじめとする生物の大量絶滅は、直径10キロほどの小天体の衝突によって引き起こされた突発的な環境変化によるという考え方が提唱されてからだ。
 「斉一説」に対する「激変説」である。今ではこの考え方に疑義を呈する研究者はほとんどいない。アストロバイオロジーの世界的権威として知られる著者は、これを「科学におけるパラダイムシフト」であると評価し、それでは「天体衝突は文明史にも関わるか」という難問に、その膨大な知識の集積を“武器”に挑んだのが本書である。
 著者は2013年2月15日にロシアのチェリャビンスク周辺で起こった隕石の落下が、人類あるいは社会に大きな被害をもたらすことを実証した初めての天体衝突であったとし、われわれが絶えず宇宙からの脅威にさらされていることを認識させてくれたという。
 そして「天体衝突は地球史や生命史だけでの脅威に限らず、人生というタイムスケール(100年)、文明というタイムスケール(1万年)の歴史においてもそうなのだ」「文明史という歴史と地球・生命史との違いがあるとすれば、天体衝突の規模と頻度の違いだけである」と語りかける。
 ただ、著者も「あとがき」で指摘しているように、その科学的検討はまだ始まったばかり。その意味で、その最先端の議論を身近に感じられる格好の入門書として手に取りたい一冊である。

液状化の要因を探る
小泉俊雄教授
小泉俊雄教授
航空写真で現在の土地を読む 地震の危険箇所を知るために
航空写真で現在の土地を読む
地震の危険箇所を知るために
著者= 小泉俊雄(本学建築都市環境学科教授)、阿部三樹(前(株)道路建設コンサルタント技師長)
出版= 彰国社
価格= 1998円(税込み)
 2011年3月11日の東日本大震災は、東京湾岸部にも埋立地を中心に深刻な液状化被害をもたらした。
 本書は3・11後、浦安市、市川市、習志野市、船橋市、千葉市美浜区など液状化被害に遭ったエリアを取り上げ、昔と今の航空写真、防災に関する地図や知識を基に、液状化の要因を追究した労作だ。
 人の手で改変される前の土地状況を、古い航空写真と各種地形図などから丹念に読み込んでいく。すると、土地本来の性質が浮かんでくる。この土地状況を知ることが、安全な建物を建てたり地盤改良をするときの重要な情報源となる。温故知新――と小泉教授。
 3・11の液状化被害では、土地状況と被害との相関関係がはっきりとうかがえた。特に1960年代、70年代に沖合海底の土砂をさらって埋め立てられ、住宅地として分譲されたエリアに、被害が集中していた。
 内容の構成は▽1 地震による危険な土地を知るための基本(地震による家屋の被害/被害の地域差を探る材料 ほか)▽2 古い航空写真等で家屋被害を分析する(千葉県東京湾岸地域の地形/家屋の被害の状況 ほか)▽3 これからの展開(温故知新―古い航空写真で現在がわかる/これからの展開)▽付 航空写真を用いて地域を知るための基礎(航空写真を知る/地理情報の充実)――など。150ページ。
 液状化の要因を探りながら、航空写真や地形図の読み込み方の基本から応用までを学べる。地形や地図の知識も豊富に盛り込んである。
 小泉教授は、原爆が投下された広島市の惨状について、米軍が撮影した航空写真をもとに、投下前後の市街と被害の分布状況を詳細に明らかにした業績などで知られる写真判読のエキスパート。
 「防災に関する地形や地図を読み込むための入門書でもあるので、広く一読をお願いしたい」と語っている。

活躍する校友


学びに無駄なし
人生に夢を抱け
ビニフレーム工業株式会社顧問
角畑 健博(かどはた たけひろ)氏(61歳)
(昭和51年、工業経営学科卒)
「想像〜創造」スピリットを呼びかける角畑さん
 勉強も遊びも、学生時代の体験はすべて役立ちました――富山県魚津市に本社を構える中堅アルミ建材メーカー「ビニフレーム工業」顧問、角畑健博さんは、ユニークな発想の持ち主だ。厳しい業界にあって、あえて「なまくら」を自称し、時代のニーズを先取りする経営を目指した。いわく、「学びに無駄なし、人生に夢を抱け!」。
 会社員である父親の勤務地だった富山市で生まれ、ここで中高と過ごした。本学在学中は、やはり父と同居の横浜暮らし。100メートル12秒台の韋駄天ぶりを買われ、高校時代は陸上部に加わり、本学でも入学直後、陸上部へ。「でも、練習する検見川グラウンドまで遠く、1カ月ほどしか続きませんでした」と角畑さんは笑う。
 数学好きの理系タイプ。ただし電気や化学は不得手で、工業経営学科を選んだ。が、1、2年生でとるべき体育の単位は落とすは、講義にも熱は入らなかった。代わりに張り切ったのがマージャン。1年生のとき初めて友人に手ほどきを受け、本で独修した。「4人でやるゲーム。勝率は25%。それより少し勝つ回数を多くすれば損はしません」。なにやら会社経営にも一脈通じる話ではないか。
 ところが、“ぬるま湯気分”は4年生になって卒業研究に着手した途端、吹き飛ぶ。
 学友3人の共同テーマは、「行列待ち理論による最適人員配置」。実習先の千葉県内にある大手金属製造工場から「ぜひまとめて」と宿泊所まで提供してもらいスタートしたものの、1カ月たっても見当はつかず呆然自失。結局、ストップウオッチ片手に作業員のあとを追いかける動作(動線)研究を展開した。そのデータをもとに社幹部を前に、「余った人員は他の部署へ回せます」とレクチャーした。返ってきたコメントは単純明快、「余剰人員が出たら切ります」。
 それが企業というものかと考えさせられつつ、体育の単位を4年生になってクリアし、恩師の紹介でふるさと富山県のビニフレーム工業へ。しかも、樹脂技術部に配属早々命じられた仕事が卒業研究そっくりの工場人員見直しだったというから、現実の厳しさを2度味わうことになった。
 「勉強って面白いもんだと実感しましたね。もっともっと真面目に取り組むべきだったと悔いています」
 同社の設立は1962(昭和37)年。まず塩化ビニール、さらに素材をアルミへと広げ、家具や建材、ICマガジンケースなどを製造・販売してきた。住宅、IT需要をバックに「倍々ゲームで躍進」(角畑さん)。原料の選定・配合、金型づくりなど細かい知識と技術が求められる。それを吸収する機会は大学にこそあったからだ。
 親会社の日本カーバイド工業(本社・東京)へ一時、出向・転籍した。その後、取締役としてビニフレーム工業へ戻り、営業本部長をしたあと2006(平成18)年、初の社内生え抜きの社長(5代目)に。会長職へ移る2013年4月までの7年間、約220人社員の組織の舵取りを任された。
 経営哲学がまた面白い。仮に100万円稼ぐため8時間働くとしよう。次はこれを5時間に縮める。「楽してもうけよう」と社員に説いた。
 一方で、新領域を開発していく。社長就任後、不採算部門の整理などと並行し、雪に強いカーポート、LED(発光ダイオード)照明管、高機能性複合サッシ、門扉といった新商品を送り出してきた。ビル用アルミ手すりではかなりシェアの高い商品もある。
 吉田松陰の名言「夢なき者に成功なし」を好む。なにをしたいのか理想を抱き、計画し、実行せよ、という意味だ。ちょうど社長6年目に迎えた創業50年を記念して社内に掲げた「一歩先んずる発想 想像〜創造へ」のスピリットを若い学生たちにも期待してやまない。
 2014年4月に会長職から顧問へ。「退職するとき、『なんていい会社にいたんだ』と社員に言われるようやってきました。でも社長を辞めてよかったのは、気兼ねなく社内マージャンが打てるようになったことですね」。