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2012.1.15

惑星地質学シンポ開く


PERC研究員ら講演
別府、阿蘇、雲仙 フィールド巡検
フィールド巡検で。海外の研究者たちと記念撮影
フィールド巡検で。海外の研究者たちと記念撮影
 2011年PERC惑星地質学フィールドシンポジウムが昨年11月、国内外研究者84人が九州に集まり開かれた。惑星探査研究センター(PERC)主催の国際シンポは3回目。
 同月5〜6日、講演会が北九州国際会議場(北九州市)で。続いてフィールド巡検が7〜9日、別府(福岡県)、阿蘇(熊本県)、雲仙(長崎県)で行われた。講演会と巡検の2本立ては、惑星地質学分野では日本初の試み。
 講演会の口頭・ポスター発表は分野で構成。これまでの惑星探査で何が分かったのか、何を探査すべきか、地球を研究する地質学者から見て、惑星地質で何が言えるのか――などについて問題提起された。
 また、惑星探査ロボットの研究開発者も加わり▽現状のロボット機器で工学的にどのような惑星探査が可能なのか▽惑星科学者から工学の研究者に何を期待するか、などが話し合われた。
 PERC研究員は、別項のとおり発表した。
 講演会第1日の夜、懇親会が開かれ、千葉工大OBが会場で盛大に太鼓演奏し外国人研究者に思い出をプレゼントした。
 フィールド巡検は、惑星類似の地形を見て回るもので、別府、阿蘇、雲仙の現場で、各フィールド専門の地質学者が解説し議論を提起した。海外の地質学者・惑星科学者、日本の惑星科学者にとっては、どのフィールドも目新しく、現場で議論が白熱することも、たびたびだったという。
PERC研究員の発表
【口頭発表】
 水星と月=荒井朋子上席研究員 宇宙機による軌道上からのリモートセンシング、着陸探査、実験室でのサンプル(隕石やサンプルリターン試料)分析を総合して何がわかるのか、を月の例を参考にして議論惑星探査=小林正規上席研究員 PERCが提案する小惑星上及び周囲のダストを観測する将来探査機計画について▽並木則行副所長 PERC他が提案する火星の地質探査計画について地球上の惑星アナログと九州巡検の紹介=小松吾郎客員主席研究員 アジアの地質・地形で火星の類似地形(アナログ)となる場所について
【ポスター発表】
 惑星と衛星=千秋博紀上席研究員 これまでの惑星探査から火星の内部構造についてわかったこと及び将来探査で火星の内部構造を知るために何を観測すべきか▽石丸亮研究員 火星大気中のメタンの起源を説明する物理プロセスを新たに提唱地質プロセス=後藤和久上席研究員 地球上の海岸巨礫堆積物の火星及び惑星地質学への応用▽和田浩二上席研究員 火星上の特徴的なクレーターを数値モデルで再現する試み実験手法と惑星探査手法=大野宗祐上席研究員 PERCの火星模擬チェンバーの紹介▽石橋高研究員 laser induced breakdown spectroscopy(LIBS)法を用いてオリビンの元素組成を推定

出版


決着!の理由を解説
後藤上席研究員
後藤上席研究員
 今から約6550万年前の白亜紀末に、恐竜などの動植物が大量絶滅。その原因をめぐって、過去30年間、論争が続けられてきた。
 昨年3月、世界12カ国41人の研究者が連名で「現在のメキシコ・ユカタン半島への小惑星衝突が、大量絶滅の引き金になった」と結論付ける論文を米科学誌サイエンス電子版に発表し、大きな反響を呼んだ。
 従来から有力とみられてきた天体衝突説を、地質学者や古生物学者、地球物理学者らが集まり、過去の蓄積データや数値モデルに新データを加えながら、共同で再検証した。なおも新説が出、混乱する因果関係を明確にしようとするものだった。
 惑星探査研究センターの松井孝典所長と著者の後藤上席研究員は、この論文の共著者だった。
 今回、「決着!」に至った訳を語ったのが本書。岩波科学ライブラリーの1冊として出版された。地球科学を最前線で研究する著者が▽なぜ小惑星衝突が大量絶滅の引き金になったといえるのか▽数ある反論のどこに問題があるのか▽研究者とメディアとの関係――などを、一般向けに分かりやすく解説している。
 出版後、東京新聞に書評が掲載されるなど、話題となった。
決着!恐竜絶滅論争
決着!恐竜絶滅論争
著者= 後藤和久・惑星探査研究センター
上席研究員
発行= 岩波書店
価格= 1260円(税込)

活躍する校友


Kamaboko業をITで引っ張る
人と接し、生きる力を学べ
河内屋社長
河内 肇(かわうち はじめ)氏(45歳)
(平成2年、金属工学科卒)
河内 肇氏
「英語力も着けて」と河内さん
 Kamaboko。昔から日本人の口に入っていた蒲鉾を英語で表記すると、こうなる。いまや国際語だ。富山県魚津市に本店を置く鮨蒲本舗「河内屋」3代目社長、河内肇さんは本学金属工学科卒だが、車メーカー「いすゞ自動車」から水産業の一角へ人生の舵を切って18年。「やっと慣れてきました」と自信をのぞかせる。
 JR魚津駅そばの河内屋魚津本店。事務所・工場ビルの1階にある売り場の冷蔵棚には、約50種類の商品が並ぶ。かまぼこにアナゴがのっていたり、昆布で巻いたもの、あるいはチーズを練りこんだり。カラフルである。「消費者に飽きられないよう、時代とともに新製品を出しています」と河内さん。昨年は「楽天市場」EXPO2011で、EXPO賞(地域特産品賞)を受けている。
 神奈川県で育った。実父も本学機械工学科卒のエンジニア。「千葉工大も受けておけよ」「材料も面白いぞ」という父との会話もあって金属工学科へ。卒業と同時にいすゞ自動車へ入社、製造ラインの設計に携わっていた。ところが3年目の93年、転機を迎えた。
 「私はムコ養子なんです」。就職翌年に結婚した。河内屋2代目社長(現会長)のお嬢さん(長女)で、後継者に名指しされたわけだ。週休2日から年中無休に近い世界への進路変更。「悩みました。日本海側で暮らした経験はないし、友人もいませんから。会社の同僚は『信じられん』という顔でしたが、実父の『それも人生。サラリーマン生活の先が見えてから転職するより、若いうちの方がいい』との後押しもあり、決断しました」。
 性格は「もともとネアカ」(河内さん)。ゼネコンの建築現場、食品工場などでよくバイトした。下宿代や好きな旅行費用にあてた。講義は真面目に通った方だという。4年次の指導教授は学生とのコミュニケーションを大切にし、月1回、ゼミ生から幹事を決め、1階の研究室でアルコール付き談話会を開いた。河内さんの番。直前の北海道旅行の記憶もありジンギスカンを計画し、学生食堂のおばちゃんに仕入れてもらったラム肉、友人の家から集めたジンギスカン鍋4台でイザ酒宴へ。教授が帰ったあとも続き、甘い煙は上階へ。「こらっ、責任者はだれだ!」と夜間部の教授が怒鳴り込んできた。教室へ上がれば、いい香りの青白い煙が天井にモクモク・・・・・・。翌日、教授と謝りに回った。
 「1号館でした。昨春、仕事で幕張へ行った帰りに卒業後初めてキャンパスに寄ったら、まだあった」。懐かしき“ジンギスカンの乱”。
 打たれ強いとはいえ、転身して2年間は無我夢中だったらしい。かまぼこ工場と家の往復だけ。その後、総務や人事、営業畑へ。「時間と気持ちに少しゆとりがうまれ、周りを見たら、仕事が終わったあとの飲み友だちや遊び仲間がいないのにハタと気づきました。ホームシックになりかけたときがありました」。正直である。これはまずいと、義父の勧めもあって富山青年会議所(JC、会員200人)へ入会。試行錯誤して自分でタグを組み、河内屋のホームページを公開したのも同じ96年であった。
 社員のパソコン1台体制を地方では早くに実現、99年「楽天市場」へ出店するなど、地元中小企業のIT化の原動力になった。「いま社員42人ですが、社内に理系人間が私ひとりだった点も幸いしました」と笑う。
 意外なことが起こった。それまで役員など積極的に活動してきたが、2006年、伝統ある富山JC理事長(任期1年)に選ばれた。「ここでまた悩みました。私はよそもの〔こちらの言い方では「旅の者」〕。しかし、ゼロから作ってきた多くの仲間の助け、家族の応援があり、ちょっと無理してみました。北陸新幹線開通が現実的な時期で、会社と自分を知ってもらえればという気持ちもありました」。その工事はあと2年余で富山を経て金沢まで達する予定だ。東京へ、金沢へと人の流れを吸い取られない戦略を早急に考えなくてはならない。
 いま就活中の後輩へメッセージを。「たくさん採用面接をやってきました。いまの若者は自己PRが下手。上手になるには人とのコミュニケーション力をつける、つまり人と付き合い、生きる力を学ぶ。それと、これからは英語くらい話せた方がいい。僕は使えないけど、子どもにはそんな教育をしています」。トップの言うことは、どこか共通している。