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2010.1.15

レスキュー、車いすロボ実演


世界のロボット技術一堂に 国際ロボ展開催
都内で開かれた国際ロボット展
都内で開かれた国際ロボット展
 世界のロボット技術が一堂に会する「2009国際ロボット展」が11月25日から28日まで東京ビッグサイトで開かれ、本学は実演や展示などで存在感を示した。
 この展覧会は2年に1回開催、今年18回目という伝統あるもので、今回はメーカー、大学・研究機関など192社・64団体が参加、展示ブースは856に上った。海外からも多数参加した。
 本学は今回、独立行政法人・新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の共同研究団体の一つとして、レスキューロボットと車いすロボットのステージ実演を担当した。
 レスキューロボットの説明者は本学未来ロボット技術研究センター(fuRo)の。NEDO「次世代ロボット知能化技術開発プロジェクト」の一環として取り組む閉鎖空間内高速走行探査ロボットを紹介した。プロジェクトは国際レスキューシステム研究機構(IRS)に参加する大学・研究機関が共同で推進している。
 地震などの災害時に想定される閉鎖空間の中で人間の代わりに被災者を発見、救助に導くロボットは、自律性と遠隔操作性、強力センサー機能、がれきの山での迅速な移動、ドアの開閉能力、さらに広い場所での複数ロボットとの連携、空間内情報の正確な対策本部への送信など、多くの課題をこなす必要がある。
 車いすロボットの担当は清水正晴fuRo上席研究員。fuRoの自律型移動体は東京・銀座地下街などで実証実験を重ねており、障害物回避知能モジュールやucode連動型ナビゲーションモジュールの有効性が検証されている。
 今回は、産業技術総合研究所、千葉工大、芝浦工大、セグウェイの計4台のロボットを、共通化したインターフェースで動かす実演を行った。
 NECトーキンの展示ブースでは本学がパーソナルモビリティロボットを出展した。
 別ステージでは、子どもたちに大人気の二足歩行ロボットによる格闘技大会「ロボワン」が開かれ、アニメのヒーローのかっこうをしたロボットがステージでバトルを繰り広げた。fuRoの先川原正浩室長が解説を受け持った。
 初戦で電気通信大生と対戦し勝った本学ロボティクス学科2年・町浩輔君のロボットが勝ち進み、3位となった。

ロボット技術の幅広さ紹介


先端ものづくりチャレンジ 本学で開催
サッカー競技をするロボット
サッカー競技をするロボット
 習志野市など地域の産・官・学と市民が一緒になって、ロボット関連産業を発展させるため、子どもたちを含め技術やアイデアを自慢しあおう――そんな趣旨で、「先端ものづくりチャレンジ2009in習志野」(習志野商工会議所・千葉工大・NPO法人国際ロボフェスタ協会主催)が12月13日に開かれた。
 第1回は昨年3月、今回が早くも2回目で、本学津田沼キャンパス新1号棟の広々とした会場で行われた。スローガンは「Create for the future(より安全で豊かな社会を)」。
 内容は、ロボット競技(サッカーロボットと知能ロボットの2部門)、子ども絵画コンテスト、ロボットキット製作と本学研究室(デザイン科学科・未来ロボティクス学科)や近隣企業による展示の4部門。
 午前中に競技予選やキットづくりがスタート。絵画コンテストの表彰式も行われ、71人の小学生の作品から最優秀賞など20点が選ばれた。
 午後の開会式では、未来ロボティクス学科の中野榮二学科長が「今日は新しい“ものづくり”の発表会です」と挨拶。そのあと、白鳥豊・習志野商工会議所副会頭、佐野利男・本学副学長、最後に荒木勇・習志野市長がそれぞれ、ロボット産業や子どもたちへの期待を述べた。
 知能ロボット競技は、完全自律型のロボットが赤、青、黄の15個のボールが散らばった競技エリアで色球と同じ色のゴールに球を入れるゲーム。17チームのうち7チームが決勝へ。
 サッカー競技は、「日本で初めて」の対戦に。ロボカップ世界大会で2年連続3位を勝ち取っている自律型ロボット「CIT Brains」と学生のクラブ「総合工学研究会」の人間操縦ロボットの戦い。防御など複雑な機能満載の自律型に対し、“攻撃専門”の操縦型が自律型を破った。
 キットづくりは、学習ロボット「プロロボ」を組み立てたあと、ミニコンテストを行った。
 午後3時半からは表彰式。激戦の知能ロボット競技では、パフォーマンス性、チャレンジ性、デザイン性、スピード性、技術性が審査され、最優秀賞にはロボット「オド太郎」で戦った本学中野研究室の白田竜二・丸谷一真両君のチーム「オドくん」が選ばれた。
 最後に実行委員長の南方英明准教授が次回への参加を呼びかけた。

活躍する校友


JTB初 技術畑出身のCIO
会社人間だけじゃない 何事にも夢中
元JTB取締役 最高情報責任者(CIO)
現JTB情報システム代表取締役社長
佐藤 正史(さとう まさし)氏(61歳)
(昭和46年 電子工学科卒業)
佐藤 正史氏
「仕事をやる上で、打算はしない」と語る佐藤さん
 国内外の総合旅行業のマンモス企業「JTB」で初めて技術畑出身の役員(Chief Information Officer)が誕生した。この人事に「営業主体」の業界に驚きが走る。2001年6月。CIOは「最高情報責任者」「情報システム担当役員」「情報戦略統括役員」といった訳語が充てられるが、まさにコンピューター時代、IT時代を代表する要職を担う。IT業界からは取材や講演依頼が相次いだ。JTBの目を見張る拡大・成長を支え続けた“コンピューター屋”の面目躍如だ。
 道東地方。北海道北見市に近い常呂郡置戸(おけと)町。厳冬期マイナス25度を記録する朝も経験した。その置戸中学2年生の時、「電子計算機」を紹介した学習雑誌に出会った。「将来、人間に代わって算数やいろいろな事が出来る」とある。思わずうなった。13歳の釣り大好き少年。脳裏に、後年「コンピューター」と誰もが知る「計算機」という言葉がしっかりと刻まれた瞬間だった。
 60年安保闘争当時の日本。コンピューターは全く未知の世界の「機械」であった。「電子頭脳」はとても気になる存在ではあったが、知識を得る資料も乏しく、勉強するにも方策がなかった。「人間の脳に代わるもの。いったい何?」「出会ってみたい。使ってみたい」。じっと潜在化していた探究心。それがふっと、頭をもたげたのは4年後、大学進学を控えた高校3年。取り寄せ集めた大学の資料の中、千葉工大には米国バロース社の電子計算機がある、という。他の大学には見当たらない。進路は一も二もなく決まった。
 が、恋焦がれた「憧れのコンピューター」に会えるには4年生まで待たなければならなかった。1年から体育会スキー部にのめり込んだ。長期の合宿。学資稼ぎのアルバイト。アルペン千葉県5位。学業と疎遠になりがちな世間並みのキャンパスライフ。もう一つ3年の時、友人が学友会の会長になったことがきっかけで副会長に。学内封鎖という学園紛争の嵐の中、時流に逆らい学内正常化を掲げてセクト派の学生に脅されることも。4年の就職活動期まで、コンピューターの勉強もまるでしていない。
 それでも、卒論は「大学入試の解答におけるコンピューター処理」とした。情報工学の新分野のソフトウエアを扱った。ハード主体の審査の教授陣は「電気も回路も出てこない」主張に面食らったのか、あっという間にパスしてしまう。
 まだ「コンピューター・プログラム」といわれていたソフトウエア開発に取り組みたかった。その一心でJTBへ進路を定める。技術採用の同期生10人の中でも、大学でソフトウエアを勉強してきたのは唯一人だった。ちょうど、JTBは膨大な旅行・宿の予約を一括管理する第一回目のオンラインシステムを作り上げたばかり。
 コンピューター部に配属され、基幹システムの開発に没頭。10年の間に、JTBに大変革を引き込むTRIPSII、IIIの立ち上げを成功させた。IBM、東芝といったメーカー側との真剣、厳しいやり取りの中、漢字表記の発券機など「日本初」のアイデアや創意工夫を満載した新システムの誕生だ。連日、深夜帰宅の残業は当たり前だった。そのひた向きな頑張りぶりが上層部の目に止まり抜擢を生み、超エリート部門の経営企画室へ転属という畑違いへ転身。ここでも予算編成システムをばっさりと構造改革する「いい仕事」を遂げる。
 6年前から高校時代の文化祭で演じたエレキギターを再び手にする。テケテケテケ・・・・・・そう、団塊世代の教祖、ベンチャーズ。川釣りのフライフィッシングは30年以上のキャリア。開高健のようにアラスカでも投げた。さいたま市の自宅でガーデニングにもはまっている。会社人間だけじゃない。何事にも夢中だ。
 「仕事をやる上で、打算は一切しないこと。没頭する。その瞬間、その時に全力で取り組む。それがキャリアにつながる」。175センチの痩身が「ドゥー・マイ・ベスト」を体全体で発散する。