2005.1.15

4面

2004附属総合研究所研究活動報告会

最新の58課題報告、満席の中、熱心に議論
12月6日 津田沼校舎
 

 本学附属総合研究所主催(所長・小林幸雄教授=電気電子情報工学科)による2004年千葉工業大学附属総合研究所研究活動報告会が、昨年12月6日(月)津田沼校舎7号館のフレキシブルワークスペースで行われた。
 今回は、従来の附属研究所を、大学における研究・成果を学内外に発信する機関としての附属総合研究所に改組して、初めての報告会であった。
 報告会は、従来から行われていた一般研究、萌芽研究で公募した助成研究の報告に加えて、研究科分、学生分、研究科共同研究および奨学寄付金などの外部助成金を獲得した研究の報告も新たに含めた形で行われた。
 発表は、昨年度から始めて好評を得ているポスターセッション形式で行われた。当日は発表時間を13時〜15時、15時〜17時の2部制に分け、最新の研究成果全58課題の報告がなされた。
 会場は参加者で常に満員の状態であり、あちこちで本学の多種多様かつ先鋭化された研究に対する熱心な議論がなされていた。研究所長の小林教授は「これからも、本学の多くの研究・成果を学内外に広く発信できるように、関連部局とも相談しながら努力していきたい」と語った。

▲好評のポスターセッション会場で盛んな議論
 
 

古田所長、高崎高校(SSH)で講義

最新ヒューマノイドロボット“morph3”解剖教習講座
“morph3”の解体講座に「感動した・・・」と満足感示す
 

 本学「未来ロボット技術研究センター」の古田貴之所長は、昨年12月3日、平成14年度から3年間、文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受けている群馬県立高崎高校で、午後1時30分から2時間、同校のSSHクラス2年生ロボット班を対象にSSH実験講座を行った。
 同講座は、高校1年次に自らが発見した科学的興味分野をさらに発展し、大学などと講義や実験を通して生徒の科学的・数学的能力を一層高めるために開かれている。
 古田所長は「最新ヒューマノイドロボット“morph3”解剖教習講座」と題してロボットの仕組みを実際のロボット“morph3”を分解して構成要素・技術などを解説した。
 
▲古田所長のユーモアある説明に傾聴する生徒たち
 講座終了後、受講生の多くは「今までで最も感動した講義」「ロボット工学について多くのことを学ぶことができた」と感想を述べ、満足感と共に、さらに興味を深めた様子だった。
 
 

16年度第4回オープンキャンパス

受験対策講座やfuRoツアーなど680人参加
 

 平成16年度4回目のオープンキャンパスが昨年12月12日、午前11時から津田沼キャンパスで行われた。
 今回の企画の目玉は、予備校の講師による「入試直前!ラストスパート受験対策講座」で、英語と数学の2教科について、千葉工業大学の入試問題の傾向と対策を高校生に伝授した。
 このほか毎回人気のある「fuRoツアー」「鯨生態観測衛星プロジェクト展示会」には、相変わらず多くの人が訪れ、技術のすごさを実感していた。当日は、あいにくの天候にもかかわらず680人が来学し、昨年度を41人上回った。
 なお、平成16年度のオープンキャンパス総来学者数は6828人になった。
▲「ラストスパート受験対策講座」は高校生で超満員   ▲毎回人気の林教授(右)の「くじら講座」
 
 
井村五郎教授 逝去

 工学部デザイン科学科の井村五郎教授が、昨年12月13日(月)、骨髄異形成症候群のため逝去された。62歳。
 同教授は、平成元年3月に本学工業デザイン学科講師として勤務、同4年に助教授、同16年4月に教授となる。工作センター運営委員会委員、クラフトハウス運営委員会委員、環境対策委員会委員、アドミッションオフィス専門部会委員などを歴任し、15年間にわたり本学の教育研究に情熱を注がれた。
 独特の早い口調に、経験と実践で裏付けされた理論の展開は多くの学生たちを魅了し、卒業生にとっても「いつか先生に認めてもらえる作品を……」と、仕事を続けていく上での心の支えになる存在であった。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 
 


PPA

教育センター 依田十久子
 

 昨年暮れ母親の年祭のため、久しぶりに伊勢市の実家に帰省した。
 ただ帰るだけではなく、名古屋で降りるついでに織部・志野・瀬戸いずれも好きな美濃焼きを見てこようと乗車券を土岐市駅まで買った。美濃焼きを伝統資料館で見て回ろうと焼き物を見ることばかり考えていた。
 名古屋までの新幹線に乗るうち、小さい頃年賀状の宛名を「岐阜県土岐市○○」と書いて出していたのを思い出した。その住所は小学生の頃、夏休みになると母親に連れられ遊びに行っていた場所だった。そう、母親の実家があった住所だったことを思い出したのである。母親の里の方へ向かっているとはその時まで気づかなかったのである。
 土岐市から今はもう通っていないバスで山道を登った所にあったその実家は、晩年母が少し寂しげに古民家としてどこかに移築されてしまったと言っていたのも思い出した。母親を思いだす少し感傷的な旅になってしまった。しかし、気に入った黄瀬戸の湯飲みを手に入れ、ほくほくしながら帰路に着いた現金なもう一人の自分がいた。

四季雑感

附属総合研究所 細川  繁
 

 パリの一人旅――私がパリを一人旅したのは1995年7月であった。とにかく海外へは初体験であったが知っている英語を駆使して10日間無事に過ごすことが出来た。
 街中で老人に道を尋ねたときも親切に教えてくれた。フランスとはいえ英語でも何とかなるものである。ただ、さすがにレストランに一人で入る勇気がなく、朝食はホテルのパン、昼食はスーパーで買ったサンドイッチをコンコルド広場の公園のベンチで、夜は同じくサンドイッチをホテルの部屋での毎日であった。
 旅の目的は、画家修業の下見であった。有名なモンマルトルの丘にいる画家の一団では日本人の画家と知り合うことが出来いろいろと話をしてくれ、いつでも来なさいと言ってくれた。翌年、パリに住んでいた友人の奥さんが急きょ帰国することになり、私にそのアパートに引き続き入らないかと声をかけてくれた。2週間で結論を出してパリに来なさいとのことであったため時間の余裕がなく断ってしまった。そのとき行っていれば今頃有名な画家? それともパリの地下鉄で絵を売っているみすぼらしい画家?

編集だより

入試広報課 大橋 慶子
 

 センター入試を皮切りに、本格的な入試シーズンに突入した。1月6日から願書受付けがスタートしてからというもの、お正月気分などどこへやら、あっという間に気分は入試体制になった。
 毎年この時期になると忙しさのあまり自分のしていることがわからなくなることがある。仕事の合間に次々にやらなければならない事が割り込み、しばらく経ってからハッと我に返り、自分を整理するのだ。私だけに限らず、同僚にもその兆候はみられ、時々みんなでこっけいな自分達を思い出しては大爆笑している。また、疲れには「肉」が合い言葉の私たちは、疲れのためにそれぞれの行動がおかしくなってくると「お肉がきれたのでは?」と、仕事帰りにポークジンジャーを食べに行くのがここ数カ月のパターンだ。
 入試広報課の職員が最近たくましく(太く)なって来たなあと感じたら、それは怠慢ではなく、あえて忙しいからと解釈してください。女性の立場としては、どちらが良いのかは複雑ですが。
 
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