※本文中の役職等は取材当時のものです。

本を読み、人を知るべし 能力は未来進行形

「役職が付くと経験や知識が問われる」と寺島さん
「役職が付くと経験や知識が問われる」と寺島さん

ムロコーポレーション取締役

寺島 政明(てらじま まさあき)氏

(昭和57年、金属工学科卒)

 「若い時分は引っ込み思案でした」。およそそうは見えない“明るい能弁”で、株式会社ムロコーポレーション(本社・東京、社員約530人)の取締役、寺島政明さん=烏山工場長=は部下を引っ張っていく。立場は人を成長させるようだ。

 ムロコーポレーションは、車関連の部品を主に約1万5000点を独自に作れる中堅部品メーカー。金型設計から製造、検査まで一貫生産体制を誇る。しかも、その技術をほぼ内製化しているのが強みという。

 「ここでは日々約200万個の部品を国内外の自動車メーカー11社へ供給しています」。同社の国内3工場のうち最も歴史の古い烏山工場(栃木県那須烏山市、社員約300人)を預かる寺島さんは胸を張る。工場総務部のホワイトボードにはボルボ、ホンダなどとの打ち合わせ予定が書き込まれて見える。

 東京で小3まで過ごした。そのあと、父の転勤で宇都宮市へ移り育った栃木県人。「金属加工は将来性があるぞ」という高校時代の先生のアドバイスで本学へ。時に経済成長期。当時、金属工学科を置く大学は六つしかなかったという。いまの機械サイエンス学科の前身である。

 「苦学生でした」。東京・新小岩のアパートで4年間送った。3年までアルバイトをよくした。JRA中山競馬場の交通整理員、冷凍食品工場の清掃……「冷凍のシューマイをときどきもらいました。おいしかったですね」。この中で、内気な性格を外へ開いていったという。とはいえ、アパートは友人のたまり場になり、マージャンや飲み会など学生生活を結構エンジョイしたらしい。

 その津田沼キャンパスへ昨秋、人材開拓もあって卒業以来初めて訪れた。変貌ぶりに目を見張るとともに、「昔、通ったつけメン屋が津田沼駅前の同じ場所に残っていました」と、こちらにも感激した。店内に座り、食べながら懐かしい情景へ思いをはせた。その味に別れを告げ、いまの会社へ教授推薦で入って33年が過ぎたことになる。まさに光陰矢のごとし。

 痛感したのは、大学で身につける程度の技術では実戦の用をなさないこと。熱処理関係の現場に配属されたものの、設備保全、自動システムの開発、電気配線……と間口は広く、専門書を求めて東京まで足を運んだことは一再ならず。がむしゃらな努力は2番目の清原工場(宇都宮市、1989年)の立ち上げにつながった。

 それを機に30代で車メーカーとの品質向上改善会議に出席するなど仕事の幅を広げていく。全国から部品メーカーを集めたその会合は、各社のプレゼンなど切磋琢磨のバトル空間でもあった。

 「車メーカー側の参加者からこんなセリフも出ました。『手の汚れていない管理者は去れ』って」。モノづくりにおいては管理者といえども現場に下り、知恵を出せ、という戒めだ。「目からウロコでしたね」。以後も品質改善に携わり、3年間サプライ・チェーン・マネジメント改善推進室長を勤めたあと2012年、現職へ異動し、翌年役員に。他に管理職として本学OBは8人いる。

 それにしても、シェア争いは世界規模に拡大した。取引先は、世界で約200社以上に広がり、米加のほかベトナム、インドネシア、タイに拠点を構えている。更なる前進をと、毎日の朝礼で全従業員に向け簡単な話をする。多用するのは、「能力は未来進行形」というフレーズ。社員に経営マインドを持たせつつ、製造業の基本である『安全・品質・コスト・納期管理』といった重点項目の社内“視える化”に余念がない。

 そのテンションを自ら上げるため、朝の通勤マイカー内で80年代の歌謡曲を聴き、奥さんとの週末ショッピングやドライブなどでストレスを発散するとか。

 「若い頃は先輩に教えてもらえる。でも役職が付くと指導する立場になり、経験や知識が問われる」。だからこそ在学中にたくさん本を読み、人を多く知るべしという、自戒を込めた後輩たちへのエールである。

NEWS CIT 2015年7月号より抜粋