• トップページ
  • 在学中から「靴」に関心 パソコン駆使し成果上げる

※本文中の役職等は取材当時のものです。

在学中から「靴」に関心
パソコン駆使し成果上げる

アルバイトでコミュニケーション術を培い、バイクの一人旅で日本中を見聞した日髙さん、「何事も経験」と語る
アルバイトでコミュニケーション術を培い、バイクの一人旅で日本中を見聞した日髙さん、「何事も経験」と語る

銀座ヨシノヤ社長

日髙 孝一(ひだか こういち)氏

(昭和58年、工業経営学科卒業)

 東京・銀座通りに2店舗を構え、全国の百貨店にショップをもつ「銀座ヨシノヤ」。創業1907年、靴・ハンドバッグで、とくに女性に知られた老舗である。そのトップは本学工業経営学科OBの日髙孝一さん。なんで理系からファッション関係の小売業へ? というわけで、台東区蔵前にある本社を訪ねた。

 社長室からは建設中の東京スカイツリー(墨田区)のほぼ全体を見渡せる。さて、どうしてこの世界へ-。

 「工場実習で千葉県内にある大きな靴の工場で働きました。人間工学を専攻していたこともあり、靴の面白さ、とりわけ履き心地やデザインの元になる靴型に魅かれたんです」と日髙さん。

 出身は鹿児島市。親元から離れて暮らしたいと本学に。もともと手先は器用で、中学生のころから模型作りやアマチュア無線を趣味にし、本学では電気研究会に籍を置いたこともある。友だちは多く、下宿が雀荘代わりのたまり場になり、「うるさい」と近所の人から苦情が出て、親友と2人で静かな一軒家を借りたという。楽しい学生生活だったようだ。

 コンビニや宅配便、チリ紙交換やアサリ売りなど、あらゆるバイトをやった。そこでコミュニケーション術を培った。稼いだお金でバイクを買い、日本中を一人旅して見聞を広めたという。

 本学の就職担当者からは事務用品会社を勧められた。しかし、想いはやはり靴へ。長男だったが、銀行員の父に「どこで何をしようと、おまえの好きにすればよい」といわれ、今の会社を選んだ。

 「そのころ、内定者の氏名は学内に張り出されたんです。『同じ飲食業だ。ともに頑張ろう』と、学友が握手してくるんです。よく聞いたら、どうも彼は『牛丼の吉野家』と勘違いしたらしい」

 ユニークなエピソードをもとに、「肉は牛丼、革は靴。同じグループ企業ですよ」と、冗談を言って周りを笑わせる。

 「銀座ヨシノヤ」に入社して驚いたのは、製造部門が別会社だったことだという。直接モノを作る仕事が社内にはない。それでも営業職を2年ほど勤め、さらに、履き心地やサイズ表示、木型の開発などを行う研究開発室に長く携わった。

 小売業には文系が多い。理系は少数派。これはかえって有利だったらしい。その後、仕入の仕事にも関わっていくのだが、サイズの多い商材ゆえにむずかしい発注業務に得意なパソコンを駆使してシステムを作り、広がりだしたEメールで売上在庫データのやり取りを始め、成果を上げた。経理部長、商品部長、常務などをへて2007年に義父の跡を継いで6代目社長に就く。

 人をそらさぬ話しぶりは、営業マンのそれである。でも完全な下戸。だから、お付き合いはもっぱらゴルフだ。腕まくりした肌はキツネ色、むろんハンディはシングル。

 最後に、毎年採用面接する現代の学生気質についてたずねた。「前もって練習しているのか、定番の質問には素晴らしい答えをします。だが、カーブを投げると窮してしまう。知りたいのは、その人の考え方や性格です」。日髙さんは本質を磨くよう提言する。

 そのためには、なにをすべきか。「人に迷惑をかけてはならないが、なにごとも経験し、自分の意志をもつこと。社会は人と人とのつながりで成り立っている。自分の好きなこと、得意なことだけ極めればよいと考えるのは甘い。理工系の学生はもっとコミュニケーション力をつけないといけない。それに、人間ひとりの能力には限界がある。多くのよい仲間をもてば、知恵袋になり、助けてもくれ、結果として自分の能力がプラスされるのと同じことになる。今の私があるのは、学生時代をふくめ多くの仲間のおかげです」と、後輩たちに熱い声援を送ってやまない。

NEWS CIT 2010年12月号より抜粋