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2012.3.15

未ロボ4人、日刊工業新聞社賞


ロボット開発を手軽に! USB Mover提案
左から土橋さん、伊藤さん、井水治博・日刊工業新聞社長、高橋さん、野平さん
左から土橋さん、伊藤さん、井水治博・日刊工業新聞社長、高橋さん、野平さん
 学生たちによる新事業提案コンテスト「第8回キャンパスベンチャーグランプリ」の東京エリア(同グランプリ東京実行委員会主催、りそな銀行、日刊工業新聞社共催)で、ロボット設計・制御研究室(林原靖男教授)の高橋永次さん、伊藤聡一郎さん、土橋一成さん、野平幸佑さん=いずれも未来ロボティクス専攻修士1年=の4人グループ「モラトリアン」(代表・高橋さん)が日刊工業新聞社賞を受賞、2月6日、東京・飯田橋のホテルグランドパレスで行われた表彰式で賞状と賞金10万円を贈られた。
 応募プランは「工作をするようにロボットを開発する製品USB Moverの提案」。ロボット開発は難しそうだが、これを簡単、手軽にしてしまうデバイスを開発・販売しようというもの。実は難しくないのだ、と感じてもらいたいという。
 USB Moverとは、一般通信規格のUSBをサポートし、移動ロボットの基礎的な駆動・制御部分を提供するための製品。
 さて、ロボットを作りたいとき用意するのはノートパソコンとこのUSB Moverだけ。USB Moverを動かす特別なソフトも必要ない。サンプルプログラムをフリーソフトとして公開し製作者が自由にプログラムを組み替えられるようにする。ロボットにセンサーなどを追加できる製品も用意していく。
 他社に類似品はあるが外部電源や開発環境づくりに手間がかかり拡張性も乏しいという。そこでUSB Moverを学生や中学校技術科教員に販売し、将来は小学生にも広げ、ロボットづくりを身近に、という計画。
 提案は独創性や差別的優位性、事業の採算予測などが審査された。高橋さんらの提案は、中学校への導入事例を描き、教育効果を予測している点などが評価された。
 野平さんは「短い準備期間で賞をいただけたのは、林原教授の“連係プレー”の教えを徹底した結果だと思います。大学に学内ベンチャー支援制度があれば、今後私たち以外にもこんな活動が盛んになると思います」と語った。

茂木教授に軽金属学会賞


茂木徹一教授
 機械サイエンス学科の茂木徹一教授=写真=が一般社団法人・軽金属学会から最高賞である軽金属学会賞を授与されることが、2月28日の学会理事会で決定された。
 茂木教授は、これまで一貫して、軽金属のアルミニウムやマグネシウムについて鋳造・凝固に関する基礎・応用研究を行い、数々の成果を挙げてきた。とくに、スペースシャトル、無人ロケット、航空機、落下カプセルなどを用いて、対流の起こらない無重力環境で研究し、地上での凝固に重力がいかにかかわるかを明らかにしてきた。
 学会で茂木教授は副会長、理事、監事、編集委員長、関東支部長などの要職を歴任。今回はこれらの功績が認められた。表彰式は5月19日、同学会春期大会が開かれる九州大学で行われる。

就活本番


新4年に企業説明会
 2011年度企業説明会が2月9、10、14、15、16日の5日間、津田沼新1号棟3階大教室に約300社・団体が合同して開かれた。併せて個別企業説明会も2月25日まで開催された。
 就職難といわれる年が続き、2月の企業説明会には多数の学生が各企業へ詰め掛ける。だが、志望動機があいまいで企業研究も進んでいない学生も多い。そこで今年度も、3学年前期に就職ガイダンスを行い、全員にSPI模試を実施。後期には面接対策講座やエントリーシートの書き方講座などを開いて、攻めの姿勢で就活スキルの向上プログラムを展開してきた。
 4年生になる直前、その成果を見せるのが第1回企業説明会。今回も、本学学生たちの多彩な能力に期待する東芝、NTTなど電子機器や情報通信の大手のほか機械メーカー、建設系、商社系、千葉県庁などが参加した。
 学生たちはリクルートスーツを着用、事前記入のカードを希望先や関心ある企業ブースで渡し、メモを取りながら事業内容を質問、会社の説明を聴いた=写真。期間中、新4年生となる延べ約2000人が利用した。

活躍する校友


業界初「無添加」大ヒット
無から有を、柔軟に
ファンケル美健相談役
池森 政治(いけもり まさはる)氏(70歳)
(昭和41年、電子工学科卒)
池森 政治氏
「むずかしいからこそ面白い」と語る池森政治氏
 わが頭上にはつねに青空あり――千葉県流山市に本社を置くファンケル美健相談役、池森政治さんの語り口には、聞く者をしてそう感じさせる明るさがある。技術系の会社を脱サラし、畑違いの化粧品業界へ転じた異色の経営者だ。
 化粧品・健康食品の通販大手、ファンケルは1980(昭和55)年の創業である。99年に東証一部へ上場、若者に人気のある会社だ。いまやグループ全体の連結の年間売上額は約1000億円、社員は約3000人に。創業者である兄の池森賢二氏(現・ファンケル名誉会長)にこわれ、製造部門を担ってきた。「ここまで成功するとは思わなかった。天に与えられた仕事と必死にやってきただけ。楽観論者だからかな」とふり返る。
 池森兄弟は三重県で生まれた。5人兄妹の二男、三男である。父親は早くして亡くなり、母親とともに一家で上京した。ステレオに興味を持った池森さんは苦学しながら本学電子工学科を選ぶ。入学金はクリーニング店を営む長兄が出してくれた。
 講義やバイトのかたわら、高校のころ始めた山岳部に入り、槍ヶ岳などへ登った。「でも、金欠で続かなかった」。トランジスターを使った高周波増幅器制作を卒論にして社会へ。有為転変の始まりだ。
 学んだ知識を生かし、音響機器会社へ入った。設計・製造を担当したが、ヘッドハンティングや倒産などで13年間に同業4社を転々。最後はパイオニアを創った故・松本望氏の個人会社で、「経営の何たるかも教えてもらいました」。
 しかし、サラリーマンに嫌気がさし、奥さんの実家のある福島県で不動産業の看板を出したのは79年のこと。電子部品に向かいつつ、宅地建物取引主任者の資格を取った。もともと考え方がしなやか、かつ頑張り屋なのだろう。
 不動産ビジネスが軌道に乗ったころである。「品質が安定しない。売る方はやるので、製品づくりを助けてほしい」。こんな相談が賢二氏からきた。その時分、化粧品に使われる防腐剤、酸化防腐剤など合成物質による肌荒れが社会問題化し、ファンケルは無添加基礎化粧品を目指した。が、薬学や化学を主体にする世界へ、門外漢が飛び込めるのか。迷ったすえ、「ものづくりは電子工学も化粧品も同じ」という賢二氏にくどかれ、製造部門の会社を社長として引き受けた(84年)。
 薬事法、化粧品処方設計といった本と首っ引きで苦労したらしい。「なかなかうまく混ざらない。油性成分を水性成分の方へ流していたのが原因だった。これを逆にし、振盪させながら徐々に冷却していったら安定したものに仕上がった。うれしかったです」。ファンケル化粧品の特徴は、防腐剤や酸化防止剤が入っていない。新鮮なうちに使いきってもらおうと製造年月日やフレッシュ期間を表示した少量密封容器に詰めている。化粧品業界初のアイデアはヒットし、同社の礎を築いた。さらに栄養補助食品へと事業を拡大していく。
 「むずかしいからこそ面白い」「シロウトゆえの思いつき」。淡々とした話しぶりではあるが、人はいかに既成概念から抜け出すことが至難かを物語ってもいるようだ。
 モットーは「問題は右手に、左手には希望を」。まだ工場が狭かったころから、5S(整理、整頓、清潔、清掃、しつけ)を守り、8K(危険、汚い、きつい、休日が少ない、給料が安い、カッコ悪い、暗い、希望がない)をなくそうとうたった。週休2日制の早期導入や製造技術の開発で、千葉県知事などから何度も表彰されている。
 大所帯となった同社グループの本学OBは、ご本人を含め3人。「現代の学生に欠けているのは、無から有を創りだそうという柔軟性だ」という。
 いまなおヨーロッパ・アルプスやエベレスト、国内の山を見たり、歩いたりしているが、70歳になって一つ肩の荷が増えた。流山商工会議所の会頭を昨秋引き受け、地元商工業の発展、活性化に乗り出した。「この地域で工場は生まれ、お世話になってきた恩返し」と池森さんは知恵をめぐらせている。