※本文中の役職等は取材当時のものです。

使い手発想の機械を 芸術的な真円度技術

「いま見えないことを考えたい」と渡辺さん
「いま見えないことを考えたい」と渡辺さん

株式会社太陽工機社長

渡辺 剛(わたなべ つよし)さん

(平成13年、精密機械工学科卒)

 「マザーマシン」と呼ばれる工作機械。ものづくり大国・日本を支える高精度の部品を生産する機械である。そのひとつ、立形研削盤では国内首位を走るのが中堅の工作機械メーカー「太陽工機」(本社・新潟県長岡市)だ。2代目トップに就任して間もない渡辺剛さんを訪ねた。

 JR上越新幹線の長岡駅から車で20分ほど。のどかな米作地帯である。

 「このあたりではいま、枝豆とか茶豆への作物転換が進んでいると聞きます」と渡辺さん。

 当地で生まれ、高校まで過ごした。小学校で始めた陸上部を高校でも続け、得意は110メートルハードル。「でも、親しんだ程度でしたね」。

 父の渡辺登会長(71)は根っからのエンジニアだ。新潟県内の工作機械メーカーで研削盤(刃物などで切削する代わりに砥石車で加工する機械)の設計を担当していた1986年に退社し、独立。当初は設計事務所だったが、3年ほどして製作に乗り出した。後発といってよいだろう。

 従来の研削盤は横形。加工対象物の軸を横向き(水平)にして回転させ、磨ぐ。重力の影響ゆえ、真円にくらべ3~4ミクロンのたわみ(誤差)が生じてしまう。

 「世の中にない機械を」

 そこで、ヨコのものをタテにした。たわみは1ミクロンを切り、予想外のデータに全員びっくり。しかも、横形のように場所をとらない(省スペース)。芸術的な技術は立形研削盤へと結実、初号機を売り出したのは1991年のこと。

 シャフト、ギア、トランスミッションなど部品の精度が上がるほど、車、航空機、風力発電機、建設機械などの性能や安全性は高まる。生産プロセスを革新した「世界に誇れる成果」(伊東誼・東京工業大名誉教授)として、2005(平成17)年度の日本機械学会賞(技術)に輝いた。

 「天才的なひらめきではなく、ユーザーの使いやすいものを作った結果です」

 会長は雑誌のインタビューで設計思想について、こう語っている(『機械と工具』05年11月号)。

 「厳格な」父の背中を見てきた渡辺さんも、追うように精密機械工学を選ぶ。卒業研究は金属の「薄膜密着評価法」。メッキ性能の研究といったらよいだろう。

 学生時代の記憶に鮮やかなのは、お好み焼き屋の2年間のアルバイトという。一時は映画に染まり、東京・渋谷の単館上映劇場を歩き、洋画配給会社への就職にトライしている。趣味は広い。しかし、「帰ってこい」との勧めで卒業と同時に父の会社へ入った。

 入社後は機械設計に関わった。さまざまな業種に対応するため、立形研削盤の機種をシリーズ化。2000年前後からやっと売れ出し、01年にNC(数値制御)旋盤やマニシングセンタで国内最大手格のDMG森精機(本社・名古屋市)グループに加わった。JASDAQに上場(07年)もしている。

 渡辺さんは技術畑から営業の修行へ向かい、東京の機械関係商社に出向した(08年)。折しもリーマンショック(世界的な金融危機)直後の景気後退期。足を棒にして得意先を回れど、「まったく引き合いなし」。四苦八苦の1年を体験している。

 さらに2010年から2年間は北京に駐在し、経済成長著しい中国各地への売り込みに骨を折り、文化の違いをまざまざと感じたという。2人目の子である長男は北京生まれだ。

 現在、納入比率は国内7割、欧米やアジアなど海外が3割。海外進出とともに業績は伸び、19年度は創業以来初の100億円台の売り上げを見込んでいる。それを機に19年7月、渡辺さんは後を継いだ。

 社員245人の平均年齢は36.1歳と若い。本学OBも3人いる。

 よく働き、よく遊ぶ――をモットーに、ときどきお好み焼きを家で作り、2人の子らとのアウトドアレジャーでストレスを発散するという。

 「じっくり構えてやっていきます。新たなユーザーへつながるオンリーワンの機械を供給するため、いま見えないことを考えていきたい」と意気込む。真にすばらしい技術は外から目に届きにくい。

 まさに、「神は細部に宿る」。

NEWS CIT 2020年1月号より抜粋