※本文中の役職等は取材当時のものです。

防災で地域貢献 大学院 苦労し成果

「10年かけて人を育てる」と四方さん
「10年かけて人を育てる」と四方さん

阪神測建株式会社社長

四方 克明(しかた かつあき)さん

(平成9年、土木工学専攻博士後期課程修了)

 地震、河川堤防の同時多発決壊、土砂崩れ。近ごろ自然の猛威には目を覆いたくなる。「とくに阪神地区は六甲山のふもと。備えはより大切です」。JR神戸駅(兵庫県神戸市)にほど近い阪神測建の本社で四方克明さんにうかがった。

 まず一問。従来型の発電所は、水力、火力、原子力と大別される。土木のジャンルに入るのは、いずれか?

 答:水力はダムを造るため土木、火力と原子力も構造物の土台となる地盤や断層調査、地盤改良など土木との関係は深い。

 「日本の平地の大部分は軟弱地盤。その上に構造物を建てる。地盤を固めて強くすれば安全かといえば、もし強い外力で改良地盤が壊れたら構造物を支え切れません。強度を保ちつつ外力も吸収し、クッションの効果を果たしながら構造物を守れる地盤がベストです」

 なにやらレクチャー風だが、大学院では接着剤を地盤改良剤に用い、固めるだけだった従来の改良地盤に「靭性」(タフネス)をもたせ、災害に強いものを目指して研究。その論文で工学博士に。減災の考え方にも近いという。

 京都府出身の父親は建設省(現・国土交通省)の土木技術者だった。勤務地の兵庫県淡路島でいまの会社を興した関係で、島で生まれ、高校まで過ごした。いずれ仕事を継ごうと、土木科を持つ本学へ(現在は「都市環境工学科」に科名変更)。

 「最初の3年間はのんびりしてました」。4年になり指導教官の研究室へ入ると実験に明け暮れる日々に。大学院はそれに輪をかけ、昼は実験、夜はデータ整理と土日もなし。実験器具を自ら組み立て、データを積み重ね、解析・評価しなくてはならない。「アルバイトもできません」。

 大学院の修士コース2年間、そして新設された土木工学専攻博士コースへの本学出身学生第1号として4年間籍を置くとは想像しなかったに違いない。

 「博士課程は一般的に3年間。最初の頃はいくぶん余裕もあってその日の実験が終わると先生によく飲み屋へ連れて行ってもらいました。でも、土相手だけに再現性のある実験結果がなかなか出ず、論文が1年延びました。父も『最後までやってこい』と言うし、奨学金の返済額を確認したら、『何があっても博士号を取らないかん』と最後の数年は必死でした。論文審査が通ったとき、先生に『よくやったな』と言われ、うれしかったですね」と懐かしそうだ。

 大学を終え、父の会社へ就職。その後、中小企業大学校関西校(兵庫県)の全寮制コースで10カ月間学び、経営感覚を身につけた。「他人の飯を食ってこい」との父の助言で国の国道工事事務所へ現場技術員として出向している。2004(平成16)年、会長へ引いた父に代わり社長に。

 かつては土建国家とヤユされた日本。しかし状況は変わり「高度成長期のように新しいインフラを作る時代は終わり、現在は道路の再整備、橋梁などの土木構造物の維持・補修や防災関連の事業がメイン」と四方さん。

 計画立案、設計、測量、環境アセスメントまで幅広くこなす建設コンサルタントとして県内でもベスト3に入る。「兵庫県や神戸市は、阪神大震災(1995年)の復興でかさんだ負債もようやく返済し、痛んだ県庁や市庁舎の建て替えや、関連の都市再開発などのプロジェクトが動き出した」。前途に曙光がきざしてきたという。

 いま社員は50人。県内と大阪市内に計7支店を配置。社員数の多い淡路支店には毎週顔を出す。「課題は人手不足ですね。仕事(官需)はあっても工期を考えると受注を控えることさえあります」。まさにジレンマ。

 早口だ。「学生時代から。学会発表でゆっくり話すようにいわれたものですが、変わりません。せっかちなのかな」と自己分析。そう言いつつ「10年かけて人を育てる」とゆったり構え、「情けは人のためならず」を信条に経営に当たる。

 それにしても、近年の気象は異常だ。2018年7月の西日本豪雨、19年10月の台風19号による東日本各地の河川氾らんと想定外の事態が次々起こる。

 「西日本豪雨の最中、行政から『これから復旧作業に入る、すぐ現場へ来てほしい』と要請がきた。通常、建設コンサルタントの出動は雨が上がり、行政が災害状況の概要をつかんでからが普通なのに、よほどのことが……と緊張しました」

 土木は地域に密着した仕事。たまのゴルフで肩の力を抜き、住民になくてはならない企業を目指す。

NEWS CIT 2019年11月号より抜粋