※本文中の役職等は取材当時のものです。

作画ソフトを先導 新たな開発怠らず

「4年間に無駄な時なし」と成島さん
「4年間に無駄な時なし」と成島さん

(株)セルシス代表取締役社長

成島 啓(なるしま けい)さん

(平成9年、工業デザイン学科卒)

 パソコン(PC)上で描いた漫画やアニメをスマホで楽しむ時代だ。デジタル全盛。そのソフト制作では国内のトップを走る株式会社セルシス(東京都新宿区)。「ツールは裏方。新しいコンテンツを生みだすクリエイターのお手伝いができれば」。平均年齢が37歳と若い社員(150人)を引っ張る成島さんは控えめである。

 セルシスは1991年設立のベンチャー企業。プロ向けのTVアニメソフト「RETAS!Pro」(1993年)をはじめ、世界初のPC用漫画作画ソフト(2001年)、電子書籍閲覧ソフト(2003年)などを発表してきた。

 イラスト、漫画、アニメを最新技術で作る「CLIP STUDIOPAINT」は数々の賞に輝き、業界ナンバー1のシェアを持つ。「ほとんどのプロには使ってもらっている」(成島さん)と自信をのぞかせる。

 埼玉県で生まれ、子どものころはプラモデル、ラジコンに熱を上げた。もの作りが好きで、工業デザイン学科へ。本学では吹奏楽同好会でパーカッション(打楽器)をやり、3年次には部長になっている。

 ほぼ同じころ没頭したのが、デザインツールとして普及し始めたPC(マッキントッシュ)の世界。画面上で描けることに対する驚きだ。手間や材料の面倒なアナログに比べ、省力化、低コスト化、安定した品質などに優れ、「食べるのも忘れるくらい面白かった」。

 といっても、PCさえ高価な時期だ。周辺機器までセットするのは並大抵ではない。夜のコンビニ店員で稼いだバイト代を注ぎ込み、秋葉原へもせっせと通い、そろえた。おかげでアパートのガス代を滞納、4回ほどガス会社に元栓を止められている。「シャワー使わせてよ」。そのたび同じ学科の友人のアパートへ。

 さらに、これはPCのせいばかりではないが、順当なら2年次で終わるドイツ語の単位取得を4年次まで持ち越した。「ときどき、『あぁーっ、卒業証書がもらえない!』とうなされるんです」と苦笑する。

 実はこの4年次、アルバイト求人情報誌で目にとまった会社が人生の針路を決めた。セルシスである。「でも、動機が不純なんです」。

 吹奏楽同好会の1年先輩(トランペット)に工業化学科首席卒業の才媛がいた。たまたま勤務先がセルシスに近い。「バイトもデートも新宿で」のつもりで働き始めた。折しも、アジア通貨危機(1997年)などで団塊ジュニア(1971~74年生まれ)を襲った就職氷河期のさなか。卒業と同時にセルシスへ制作部デザイナーとして就職、才媛ともめでたくゴールイン。まるで絵に描いたような展開だ。

 デジタルデザインの領域は幅広い。企業のホームページ、PCを使った通信教育、自動車に実装化の進む液晶モニター、携帯電話の画面、そしてセルシスのソフトウェアにも携わった。

 とくに漫画創作を一変させたといわれる。たとえば、効果線のひとつである集中線(光の放出・拡散を示すような線)のマスターには「修業10年」といわれたアナログの時代。今なら画像選択のクリックひとつで線の太さ、色、位置どりなど思いのまま。

 「ユーザーのニーズを聞き、ふさわしい機能づくりを模索するうち、だんだんマネジャー的になって」と成島さん。朗らかで外交的な性格が向いていたのだろう。副社長をへて2016年、社長に就任した。

 「社員のやることには、できるだけ口出ししません。なにか言えば、そのぶん、社員が考えなくなるので。社是(企業哲学)もなし。あると逆にしばられますから」

 徹底した自由主義。

 描写法、彩色などは国の文化や風土で千差万別。しかし、ツールは同じ。セルシスの一部のソフトはデファクト(事実上の世界標準)化しつつある。それだけに、「安定して提供し続けられるか」(成島さん)が、新しい技法の開発とともに、問われることになる。

 現在、日本語を含め七つの言語でソフトを出す。社員の約2割は9カ国・地域の外国人。親会社「アートスパークホールディングス」(新宿区)傘下のグループ4社のひとつは在オーストリア。セルシスの社員が出かけ、情報交流も行う。まさに技術に国境なし。

 「仕事が“息抜き”」というほど一心同体のデジタル世界への入り口は学生時代にあった。「いまでも付き合うグラフィックデザイナーら同好の士を得られたのが一番の喜びです。4年間に無駄な時はありません。意味はあとでつながってきますよ」。

NEWS CIT 2019年8.9月号より抜粋