※本文中の役職等は取材当時のものです。

創業者魂 未だ熱く 柔道7段、精密部品にかける

「従業員がいかに働くかは経営者次第」と話す鬼柳さん
「従業員がいかに働くかは経営者次第」と話す鬼柳さん

株式会社アイオー精密会長

鬼柳 一宇(おにやなぎ かずたか)さん

(昭和37年、電気工学科卒)

 「あと10年は頑張りたい」。鋭い眼光、引き締まった口元を突いたのは、こんな言葉である。本学初の柔道世界チャンプとして名をはせ、当ニュースにも以前登場した猛者だ。2017年春、新たな本社屋(岩手県花巻市)竣工とともに社長の座を降り、会長に。しかし「生産現場は完成型にあらず。通過点です」ときっぱり。改良の途を求めていまなお全国を歩く。8年ぶりに再訪し、老いを投げ飛ばすがごとき熱き創業者魂を語ってもらった。

 本社の現場を案内された。工場見学中の地元の高校生とバッタリ。毎年、中高生の見学やインターンシップの受け入れなどCSR活動(企業の社会貢献)にも力を入れ、花巻随一の従業員(490人)を擁する会社として地域に寄与している。

 市場ニーズに対応した変種変量短納期で工作機械、産業用ロボットといった生産財用の精巧なネジや歯車などの部品を製造する。顧客のオーダー図面、CADデータは、旋盤やフライス、研削盤、熱処理・表面処理など最新鋭機器の間を自由自在に流れる。「ネジ1個、1枚のワッシャー(座金)でも」をモットーにした社内一貫生産体制が評価され2016年度、中小企業を顕彰する第50回「グッドカンパニー大賞」グランプリに輝いた。

 「手探りで進んできたら、こんな形になった。やってきたことの99%は失敗でしたね」。謙虚である。が、技術は日進月歩。東京、大阪、名古屋など業界の展示会やセミナーをのぞき、最先端の情報や技術に目をこらす。

 ここへ至る苦労が並大抵でないことは想像に難くない。本学を卒業、しばらく続けたサラリーマン生活に見切りをつけ、アイオー精密を興して約40年。この間、円高容認の「プラザ合意」(1985年)や国際金融危機「リーマンショック」(2008年)をへて国内の製造業は空洞化。生産財づくりのお株も新興国に奪われていく。

 「量産品はコスト面で新興国にかなわない。だったら日本の技術基盤でしかできない高付加価値製品を必要なとき届けるシステムを築こう」

 2000年に東京営業所をオープン、競争力強化へ打って出る。このたび社長の椅子を譲った専務の一宏氏(48)=長男=が都市銀行の中堅幹部職を去り、花巻へ戻って入社したのは、その翌年だ。「呼んでいない」とご本人は言うが、周囲の声を聞くと、いくぶん強がりに響かぬでもない。

 柔道7段。国際大会で8度優勝している。外国へ出たその足で取引先などへあいさつに回ることも。なにしろ自動車、半導体、光学機器、工作機械メーカーなど国内3000社、国外では欧米など17万社に及ぶ。

 現在、岩手県内3工場のほか、西日本の生産拠点として神戸工場(神戸市)、それに中国に二つ、ベトナムに一つ工場を持つ。東日本大震災(2011年3月11日)では物流インフラがストップしたため、神戸や中国の工場へ図面を送り、「納期遅れを1件も出さなかった」という。すごいことに震災3カ月後、ドイツ・フランクフルトであった第3回世界グランドマスターズ柔道大会(国際柔道連盟主催)60キロ級で金メダルを獲得。復興に追われつつ、出張先でも腕立て伏せなど鍛錬を続けた賜物だろう。いまも同じ。

 朝6時に出社。朝礼では社長と並んで5分ほど話す。「いつまでも創業者の時代ではないのだけれど、会社の進む方向、従業員がいかに働くかは経営者次第。しっかり経営方針を示さないと社員はついてこない」との信念は固い。このところ電機、製鉄、自動車、化学メーカーなどモノづくりを支えてきた企業のデータ改ざんなど目に余るが、「ライバルより優れた製品を供給しようとしないこと、つまりお客を忘れている結果」と一刀両断だ。

 常任理事を務める「日本マスターズ柔道協会『十二年の歩み』」(2015年)にこう投稿している。「人生の終盤戦というのは何かと忙しいようです」。まさに“老いたるタカは若きヒバリ”(強健な人は歳をとっても元気旺盛=ギリシャのことわざ)。

NEWS CIT 2017年12月号より抜粋