※本文中の役職等は取材当時のものです。

防災で地元に貢献 悲観的に準備し楽観的に行動

「いま一番の懸案は地震対策」と語る石塚さん
「いま一番の懸案は地震対策」と語る
石塚さん

千葉市消防局長

石塚 正徳(いしづか まさのり)さん

(昭和56年、工業経営学科卒)

 赤い炎がロンドンの夜空を染めた今年6月の24階建て高層住宅火災。火の恐ろしさを改めて見せつけた。「私たちはいつも頭の中で最悪の事態をシミュレーションしています」。千葉市消防局の本庁舎(千葉市中央区)で石塚正徳局長は真剣な表情で答えた。

 ビル火災は珍しくない。大阪市の千日デパート火災(死者118人・1972年)、熊本市の大洋デパート火災(同103人・1973年)。ただ、近代ビルの高さは昔の比ではない。現有のハシゴ車が届くのは15階、約30メートルまで。

 「でも今はスプリンクラー、防火壁、建材の耐火性など延焼を防ぐ手立てはこれでもかというくらい講じてある。基準を守っていればボヤ程度ですむ」と石塚さん。「むしろ中小の雑居ビル火災が増えています」。

 生まれは千葉県市原市。本学へは自宅通学だ。部活はせず、空き時間にはもっぱら家に近いガソリンスタンドでバイトした。そばにある市原市消防局の消防分署員のマイカーや救急車がガソリンを入れにきた。防火立入調査(査察)や119番救急の苦労といったおしゃべりも。「そんな仕事もあるのか」と“男の世界”に耳を傾けたという。

 北は岩手県、南は岡山県までいた工業経営科の仲間との結構楽しい4年間だったらしい。夏には玉野(岡山県)の友人の家へ1週間ほど転がり込み、「瀬戸内海の島へ渡って泳いだ」。3年の夏休み、工場実習の単位を取るため市原市内の大手アルミ建材メーカーで製造工程の人の動き(稼働率)をまとめたのも思い出深い。

 消防の使命はあらゆる災害から人命や財産を守ること。ときに家族やわが家さえ顧みられないこともある。東日本大震災(2011年3月)では約280人の消防署員・団員が犠牲に。こうした危険は承知の上で「地元に貢献したい」と迷うことなく千葉市消防局を選んだ。

 2カ月間の初任研修をすませ、まず南消防署(当時)へ。川崎製鉄千葉製鉄所(現・JFEスチール東日本製鉄所)などのある京葉コンビナートの一角。住宅街もある。消火や救急は寸刻を争う。「放水なしでは10メートルも近づけません。それほど火勢はすさまじい」。もしも、あそこで出火したら……消防車の進入ルート、消火栓の位置などを常に思い描いたという。救急車も運転した。

 防火査察などを担う消防局予防課のほか人事、備品購入の総務といった事務方も経験している。1年間の千葉県庁(消防防災課)出向、市消防学校長などをはさみ、緑消防署長、局総務部長をへて今年4月、第24代局長に。部下は約980人。

 いま一番の懸案は?
 「地震対策です」

 間髪を入れず返ってきた。なにしろ、向こう30年間に震度6弱以上に見舞われる確率は、千葉市が都道府県庁所在地では全国トップの85%。局長就任と同じ4月に政府の地震調査委員会の公表した全国地震動予測地図。2位が水戸や横浜の81%のほか、東京は47%である。地域防災計画はますます重要になっている(『消防防災の科学』特集、2016年春季号)。

 近年はNBC災害も注目だ。核(nuclear)、生物(biological)、化学物質(chemical)の特殊災害を指す。東京電力福島第一原発事故で原子炉格納容器へ水を注ぎ、惨事を食い止めたのは東京消防庁ハイパーレスキュー隊。守備範囲は広い。

 悲観的に準備し、楽観的に行動する――これを肝に銘じている。最悪の事態を想定し、必ずクリアできると我に言い聞かせる。孫子の兵法にもいわく『算多きは勝ち、算少なきは勝たず』(計篇)と。危機管理の教えとする財界人も少なくない。

 「言うことは言うが、結構のんびり屋ですかね」と自己診断。両親、妻子と離れ、庁舎に近い官舎で単身赴任中だ。ゴルフなどで気分転換を図る。「ただ、この瞬間にも首都圏直下型の地震がこないとも限りません」。そんな話のさなか、出動指令のアナウンスが庁内に流れた。「○×地区で火災発生」。火事と救助の情報は本庁・所轄の全部署で共有する。

 なんだか気が安まりそうにないなぁ。

NEWS CIT 2017年7月号より抜粋