※本文中の役職等は取材当時のものです。

寮で学んだ人間関係
吸収し、自分を創ろう

技術系の強みを語る内田社長
技術系の強みを語る内田社長

イワブチ(株)社長

内田 秀吾(うちだ しゅうご)氏

(昭和56年3月、金属工学科卒)

 バンカラ寮生活と理系の知識がいまを創り上げた―電気架線金物総合専門メーカー「イワブチ株式会社」(本社・千葉県松戸市)の社長、内田秀吾さんは、こんな言い方の似合う気さくな人柄だ。本学金属工学科卒の薩摩隼人である。

 「これは北海道電力、こっちは中部電力向けです」。本社事務棟に隣接する流通センターで、内田さんは電柱用の製品の箱に手を置きながら出荷先を教えてくれた。

 注意しないと見過ごしがちだが、電柱(配電や情報通信の線路)や交通信号機にはさまざまな部品が取り付けられている。同社は、それを固定する金属製バンドや金具などを製造・販売、主に全国10電力会社やNTT(日本電信電話会社)へ納めている。信号機関連では全国シェアの9割を占める堅実企業だ。

 今年創業63年。社員320人のうち、本学OBは18人と多い。そのトップの椅子に昨年4月座った。

 鹿児島県大隅半島北部の曽於市で生まれた。鹿児島市であった地方入試で本学へ。「金属工学を選び、3年くらいまでほとんど勉強しなかったような気がする」と笑う。

 その3年間は千種寮暮らし。食事つきの寮費は安かった。しかし、しきたりはなかなか大変だったらしい。

 大学祭では、ふんどし姿で神輿をかつぎ、津田沼駅前の商店街を練り歩く。寮で逍遥歌を放吟し、1年生は先輩の夜食をつくる。「インスタントラーメンは一度湯通し脂抜きしてから調理するとおいしくなる」といったノウハウも伝授された。

 先輩・後輩の絆は強い。水道管工事などのアルバイトを紹介してもらい、試験のヤマを当ててくれる先輩“予想屋”もいて、助かったらしい。アメラグ部、合気道部など仲間は多彩で、杯を交わし、食堂のおじさんはヒツジの肉を焼いて食べさせてくれたりと、「いまから思うと学生時代はなんて素晴らしかったかと思いますよ。自由でした」と懐かしそうだ。

 しかし、さすがに卒業研究に迫られた4年になり、下宿へ移った。「NiおよびNi合金の水素脆化」をテーマにまとめ、無事ハードルをクリアした。「それまでがそれまでだっただけに、大変でしたが」。

 会社選びは本社機能が東京にあるところ、専門を生かせるという基準だった。同社はその頃、虎ノ門に本社オフィスがあった。工場のあった松戸へ見学に行き、面接を受け、決めた。工作機の油の臭いや音―ものづくりの現場が心地良かったという。技術部で部品のデザインに携わった。設計や荷重試験は楽しく、8年間が過ぎた。しかし、その後一転、営業畑へ。広島、福岡の支店を経て、2006年取締役に。

 「同業他社は全国に80社ほど。入札では神経を使いますが、技術系の強みは、お得意先が判断に困ったとき、スピーディーに相手の身になってアドバイスできることです」。むろん、寮生活で培ったコミュニケーションや対人関係の作り方もいかに役立ったことか。

 社長就任にあたり、「人を大切に、従業員が安心して働ける職場を守ること、そしてコンプライアンスなど社を取り巻く全てに対し真面目に取り組むこと」と社員へメッセージを送った。しかし、中国・山東省の工場では、沖縄県・尖閣諸島問題で日系企業に対する暴動の中、1日だけの操業休止ですんだものの、昨年は地元行政との懇談会を取りやめるなど気は抜けない。ストレス解消にウオーキングを心掛けている。

 「若いものは一度先輩の言うことを受け入れ、自分を創っていくこと。その意味では“習うより慣れろ”でしょうか。ただし学力はあった方がいい」と勉学を勧めている。

NEWS CIT 2013年2月号より抜粋