※本文中の役職等は取材当時のものです。

理系精神で新発想
拳法猛者がモード業へ

「あのころは楽しかった」―懐かしそうに話す尾高社長
「あのころは楽しかった」―懐かしそうに話す尾高社長

(株)ファテック社長

尾高 正和氏

(昭和51年、工業経営学科卒)

 かつてのツメエリ武闘派は、いまやアパレルメーカーの経営者――ホテルやデパートのコスチュームや型紙製作のアウトソーシングなどで知られる(株)ファテック(東京都千代田区)のトップ、尾高正和さんは硬軟両面の顔をあわせ持つ。

 生まれは千葉県市川市。本学に近い。地元の県立工業高校電気科を経て工業経営学科へ。高校時代からオートバイにまたがり、機械いじりが好きだったのが入学の動機という。高校のころはギター部だった。

 ところが、所属したのは日本拳法の同好会。面や胴具、手にはグローブをはめ、殴る、蹴る、倒すと、なんでもあり。はた目には、まるでケンカのよう。

 「体を鍛えようと入学のオリエンテーションでクラブ活動のアンケートに答えたら、即座に勧誘に来たのが日本拳法の先輩でした」

 きびしい練習に加え、部員による”強制アルバイト”が忘れられない。鉄工所などで働き、大会参加費などをみんなで稼ぐ。ギターとはまるで別世界だが、主将・副将につぐ「統制長」をやり、”押忍と学生服”の4年間を送った。「アザや出血はしょっちゅう。きつくて辞めようかと思ったこともあったのですが、なんとか終えました」。

 卒業研究は事務機メーカーへ通った。各種メモ用具のコストダウンを目的とし、機能、価値を分析する「バリュー・エンジニアリング」。そして、自分で見つけた「カインドウェア」(千代田区)へ。戦後、ダブルの略礼服を考案するなど式服文化を創ったフォーマルウェアの老舗だ。

 そのころ第一次石油ショックの余波で景気はよくなかった。しかし、体育会系の学生は企業に人気があった。「面接だけで入れてもらいました」。いまから見たら、うらやましい限りだろう。

 仕事の手始めは技術部で服の型紙づくり。半年ほどし、縫製工場への転勤を申し出る。七つあったうちの埼玉県内の工場へ移ったが、針やアイロンは手放せないものの、そこは機械の世界の入り口であった。

 ミシンやアイロンがけを立ち作業にして生産性を上げ、センサーやシーセンサーの制御技術を応用した半自動機械による品質均一化、タイムスタディーにもとづくライン編成など、トヨタのかんばん方式のアパレル版だ。

 「コンサルタントの知恵を借りながら、一から品質管理システムを立ち上げました。部品を秋葉原で買い込み、やけどしながらアーク溶接もした。あのころは楽しかったですね」。懐かしそうに思い出す。

 一時、長野県の工場長に。紳士用ズボン工場にもかかわらず、レディース用ホットパンツや半ズボンも手がけた。しかし、なかなか機械化になじまず苦戦したという。ステッキなど高齢者向けグッズや介護用品を扱うグループ内の別会社「カインドウェア・プラナ」の経営をまかされたあと、3年前にいまの椅子に座った。

 経済のグローバル化のなかで、中国・上海にも工場を置く。日本国内では人件費が高いためだ。インターネットでデザインデータを飛ばし、即日の型紙作成、納品さえ可能になっている。

 「ファッションは、フォーマルな時代からカジュアル系、モード系へ移っている。生産サイクルもスピードが要求され、既存の概念だけでは乗り切れません。新たなビジネス開発のためにも、文科系が主のこの業界に理系人間が必要だと考えています」

 汚れにくく劣化しにくい特殊塗料や、放射線を遮へいする服づくりなどファッションを飛び越える発想もする。というわけで最近、求人の相談に本学へ足を運んだ。

 その印象――「男子学生は声が細く、女子学生の方がものおじしないようです。10年くらい前までは納会案内をもらっていた拳法同好会も解散してしまったようですし」。草食系男子の闊歩に、いくぶん寂し気な口ぶりではある。

NEWS CIT 2012年5月号より抜粋