※本文中の役職等は取材当時のものです。

業界初「無添加」大ヒット
無から有を、柔軟に

「むずかしいからこそ面白い」と語る池森政治氏
「むずかしいからこそ面白い」と語る池森政治氏

ファンケル美健相談役

池森 政治(いけもり まさはる)氏

(昭和41年、電子工学科卒)

 わが頭上にはつねに青空あり―千葉県流山市に本社を置くファンケル美健相談役、池森政治さんの語り口には、聞く者をしてそう感じさせる明るさがある。技術系の会社を脱サラし、畑違いの化粧品業界へ転じた異色の経営者だ。

 化粧品・健康食品の通販大手、ファンケルは1980(昭和55)年の創業である。99年に東証一部へ上場、若者に人気のある会社だ。いまやグループ全体の連結の年間売上額は約1000億円、社員は約3000人に。創業者である兄の池森賢二氏(現・ファンケル名誉会長)にこわれ、製造部門を担ってきた。「ここまで成功するとは思わなかった。天に与えられた仕事と必死にやってきただけ。楽観論者だからかな」とふり返る。

 池森兄弟は三重県で生まれた。5人兄妹の二男、三男である。父親は早くして亡くなり、母親とともに一家で上京した。ステレオに興味を持った池森さんは苦学しながら本学電子工学科を選ぶ。入学金はクリーニング店を営む長兄が出してくれた。

 講義やバイトのかたわら、高校のころ始めた山岳部に入り、槍ヶ岳などへ登った。「でも、金欠で続かなかった」。トランジスターを使った高周波増幅器制作を卒論にして社会へ。有為転変の始まりだ。

 学んだ知識を生かし、音響機器会社へ入った。設計・製造を担当したが、ヘッドハンティングや倒産などで13年間に同業4社を転々。最後はパイオニアを創った故・松本望氏の個人会社で、「経営の何たるかも教えてもらいました」。

 しかし、サラリーマンに嫌気がさし、奥さんの実家のある福島県で不動産業の看板を出したのは79年のこと。電子部品に向かいつつ、宅地建物取引主任者の資格を取った。もともと考え方がしなやか、かつ頑張り屋なのだろう。

 不動産ビジネスが軌道に乗ったころである。「品質が安定しない。売る方はやるので、製品づくりを助けてほしい」。こんな相談が賢二氏からきた。その時分、化粧品に使われる防腐剤、酸化防腐剤など合成物質による肌荒れが社会問題化し、ファンケルは無添加基礎化粧品を目指した。が、薬学や化学を主体にする世界へ、門外漢が飛び込めるのか。迷ったすえ、「ものづくりは電子工学も化粧品も同じ」という賢二氏にくどかれ、製造部門の会社を社長として引き受けた(84年)。

 薬事法、化粧品処方設計といった本と首っ引きで苦労したらしい。「なかなかうまく混ざらない。油性成分を水性成分の方へ流していたのが原因だった。これを逆にし、振盪させながら徐々に冷却していったら安定したものに仕上がった。うれしかったです」。ファンケル化粧品の特徴は、防腐剤や酸化防止剤が入っていない。新鮮なうちに使いきってもらおうと製造年月日やフレッシュ期間を表示した少量密封容器に詰めている。化粧品業界初のアイデアはヒットし、同社の礎を築いた。さらに栄養補助食品へと事業を拡大していく。

 「むずかしいからこそ面白い」「シロウトゆえの思いつき」。淡々とした話しぶりではあるが、人はいかに既成概念から抜け出すことが至難かを物語ってもいるようだ。

 モットーは「問題は右手に、左手には希望を」。まだ工場が狭かったころから、5S(整理、整頓、清潔、清掃、しつけ)を守り、8K(危険、汚い、きつい、休日が少ない、給料が安い、カッコ悪い、暗い、希望がない)をなくそうとうたった。週休2日制の早期導入や製造技術の開発で、千葉県知事などから何度も表彰されている。

 大所帯となった同社グループの本学OBは、ご本人を含め3人。「現代の学生に欠けているのは、無から有を創りだそうという柔軟性だ」という。

 いまなおヨーロッパ・アルプスやエベレスト、国内の山を見たり、歩いたりしているが、70歳になって一つ肩の荷が増えた。流山商工会議所の会頭を昨秋引き受け、地元商工業の発展、活性化に乗り出した。「この地域で工場は生まれ、お世話になってきた恩返し」と池森さんは知恵をめぐらせている。

NEWS CIT 2012年3月号より抜粋