※本文中の役職等は取材当時のものです。

通信の明日を開拓
具体目標を高く持とう

事業の将来性について語る相場社長
事業の将来性について語る相場社長

オー・エフ・ネットワークス社長

相場 信夫氏

(昭和58年、電気工学科卒)

 電話も携帯もつながらない通信パニック。3・11(東日本大震災)はその怖さを改めて見せつけた。通信は現代にはなくてはならない社会インフラだ。民間企業としてその一翼を担う沖電気工業(本社・東京、以下OKI)から関連の株式会社オー・エフ・ネットワーク(本社・千葉市、以下OFN)のトップとして、相場信夫さん(51)はただいま出向中。「災害耐力をもっとつけるべきだ」と、明日のグローバルベンチャーを目指し、多忙な日々を過ごす。

 まばたきする間にも負けず劣らずの猛スピードで地球上を光通信でつなぐブロードバンド(BB)ネットワーク。その基幹構成システムのひとつであり、通信キャリアとオフィスや住居間を光で結ぶGE‐PONを、OFN社は世界で初めて商用化した。OKIとケーブルメーカーとして知られるフジクラとの共同出資で2003年に設立され、相場さんは3年前、2代目社長に。国内だけでも7社ほどがしのぎを削る激戦地だ。

 「日本はこの分野で世界のトップランナーです。しかし海外、とくに中国や韓国メーカーとの競合もあり、開発・販売は気が抜けません」

 社員の先頭に立ってシステムを研究し、セールスやパートナーとの協議でアメリカや東南アジアを飛び回る。

 千葉県鴨川市で育った。いとこの勧めで中学時代からアマチュア無線にこり、電気通信の畑へ。モールス信号も打てる。実家から本学キャンパスへは片道3時間もかかり、大学近くに下宿した。「勤労学生でした」。建設現場、ボーリング場、ケーキの配達、コンビニの店員……。「幕張にその店はまだあるんですよ。今の会社に赴任後一度行きました」。懐かしそうに思い出す。

 とはいえ、リポートをまとめないと卒業できないのは、昔も今も同じ。パートナーと選んだテーマが「非接触による心臓ペースメーカーへの充電」。専用電池は10年ほどもつ。しかし、へたれば交換手術をしないといけない。「電気を電波で飛ばして充電すればすむ。電磁波がそうですから」。なるほど。

 OKIに入ってまず電話交換機の回路&システム開発にたずさわった。当時はまだ大型の機械が並んでいた。回線接続作業ミスで停止させてしまう失態もあったが、通信端末はものすごいスピードで性能を上げ、世は情報化社会へ。開発部門はネコの手も借りたいくらいの忙しさになった。とくに、新製品の運用中システム障害がらみの対応も迫られ、「毎晩枕元に携帯を置いて寝ましたね。3、4時間くらいしか眠れなかった時代が数年続き、妻からは『命を縮めるわよ』と言われました」と苦笑い。

 その夫人、実は本学の事務スタッフだった。電気工学科のある建物の1階下の機械工学科に勤めていた。学生時代から顔見知りであるのはむろんだが、卒業するや交際を始め、間もなくゴールイン。電光石火である。

 それにしても、中学のころバスケットボールをやり、体力に自信はあったものの、30代の盛りだったからこそ乗り越えられたのだろう。

 人生は出会い。こんなこともあった。卒論の相方は東芝へ入社したのだが、以来、無沙汰を重ねていた。ところが、銀座の飲み屋でバッタリ。「ともに互いの取引相手と飲んでいたんですが、25年ぶりで昔話に花が咲きました」。

 社内では役職で呼び合わず、「さん付け」。「仕事では怒らないようにしています。自分で考え、自立できる社員を育てる」というモットーに近づけたいからだ。コミュニケーションを大切にし、ボトム・アップで問題を解決する組織づくり。しかし仕事はハードで、年にいちどの沖縄・宮古島への家族旅行は欠かせない息抜きになっている。

 では、通信の未来をどう見ているのか。3・11でもろさを露呈したインフラ強化は喫緊の課題だが、「光回線とモバイルが融合し、ますます高速化し、便利になっていくでしょう。併せて省エネタイプのネットワークが求められていく」と高い将来性を見込む。その一方で、産業空洞化が叫ばれる中、企業は取りたい学生だけを選んで採用していく傾向は強い。「それだけに具体的な目標を高くもち、勉強に励んでくれるといいですね」。

NEWS CIT 2011年11月号より抜粋