※本文中の役職等は取材当時のものです。

はい上がって自信
不況の荒波 恐れず

「学生時代の時間を大切に」と話す田村社長
「学生時代の時間を大切に」と話す
田村社長

北海製罐社長

田村 秀行(たむら ひでゆき)氏

(昭和50年、工業化学科卒)

 缶コーヒー「Roots」(JT)は異形缶で売る。斬新な缶を手掛けるのは、缶やペットボトルなどの容器業界で3強の一角を成す北海製罐だ。初代は下部にくびれを付け、昨年10月のリニューアルではウエスト周りをゆるやかに絞った。缶と缶のすき間をより広げ殺菌時間を短縮するための機能だが、ビアグラスのように手になじむと評価が高い。

 初代発売当時は技術部長。持株会社制移行(2005年にホッカンホールディングスの事業会社となる)後、2008年に社長となる。その年の9月にリーマン・ショックが勃発。スチール缶の原材料高騰に世界同時不況が重なり、就任1年目は減収減益の荒波に放り出された。

 「何くそと思ったね。品質重視で良いものを作るのが第一、そしてコストダウン。1缶、1ボトルを1銭でも安くするためにみんなで知恵を出し合ったのが大きかった」

 製造現場の人間は機械の仕事にロスは付き物と軽く流しがちだ。20代を工場勤務で過ごしたから問題点はわかる。受注から納品まで製造と営業の担当者が連携し、責任を共有する仕組みにしてコスト意識を徹底させた。わずか1年でV字回復を達成し、3年目の昨夏は記録的な猛暑も手伝い上期の過去最高益をたたき出している。

 「明るく前向きに元気よくやれば人生自ずと違ってきます。とにかく明るくないと」

 10代のころはナイーブだった。本番にからきし弱い。優秀な兄と比較され反発とプレッシャーの間で揺れた。私立の名門進学校で上位を快走しながら、大事な入学試験の前日になると体調を崩す。本命の難関国立大の受験前日も血圧が上がり、医者に注射を打ってもらってから向かったほど。結局2浪して千葉工大の門をくぐった。

 「個性的でガッツのある学生が多くてね。よし、ここで頑張ろうと思った。英会話学校にも通い、人生これで終わらないぞと意気込んだよね」

 昭和40年代にマイカーでキャンパスに通っていたというから、おぼっちゃまには違いない。だが挫折を経て一本芯が通った。外部との交流研究枠を射止め、東京歯科大の助教授と共同研究したことが道を開く。卒論はセラミック歯形の製造法について。実験に携わるなかで面白い会社と勧められたのが北海製罐だった。

 父親の経営する鉄工所を手伝っていた影響で、現場で働く自分がスーッとイメージできた。素直な気持ちで工場を志願したことが思わぬ波乱の幕開けとなる。鬼の上司が立ちはだかり、いじめの標的に。大卒者へのコンプレックスなのか、周囲も同情する理不尽な要求に苦しめられた。

 「3日で辞めたくなった。その上司のやり方は現在では通用しない。でも入社したその年の10月に結婚式が控えていたからね、養わなければいけない。家族がいたから耐えられたんだと思う」

 1日機械を操作し、汗と埃にまみれて帰る。肉体的な疲労以上に精神的に消耗した。心底悩んだ時期もある。学生時代に一目惚れした妻の笑顔がなかったら、打たれ強く切り抜けられたかどうか。

 今は逆に最初に試練を与えてくれたことを感謝している。学生時代のぬるま湯から脱出し、強い精神力を持つこともできた経験は社員教育制度の充実に結実している。上司のグレードを高めることが全社一丸の態勢づくりに役立つと知りぬいているからだ。みんなで楽しく仕事ができる職場か、暗い雰囲気か、配属された部署によってやる気が左右されるようではいけない。

 「学生時代にしかできない経験を積んでほしいね。今持てる時間を大切に使って。いかに充実して生きるか考えてほしい。後悔しないように」

 趣味だった釣りも料理もとんとできない。温泉めぐりも中断したまま。だが年1、2回、気の置けない仲間との山登りには何としても出かける。3000メートル級の山々を上り下りしていると頭がまっさらになり、つかの間仕事が頭から抜ける。

 はい上がってきた経験は自信になる。こんなことで負けてたまるか。ネバー・ギブアップ。大震災で売り上げが落ちようと、この夏で取り返せばいい。年頭に立てた目標を簡単には下ろさない。

NEWS CIT 2011年7月号より抜粋