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※本文中の役職等は取材当時のものです。

現存する最古の企業 寺社仏閣づくり
天職の集団

先輩をもっと頼りにしてくださいよ!と笑顔で話す井川氏
先輩をもっと頼りにしてくださいよ!
と笑顔で話す井川氏

金剛組常務取締役

井川 清茂(いがわ きよしげ)氏

(昭和52年 建築学科卒業)

 現存する世界最古の企業はどこか。正解は宮大工の匠を伝承する株式会社「金剛組」(本社・大阪市)。創業はなんと、飛鳥時代の578年。最初のクライアントが聖徳太子というのだから、他と比べるべくもない。そのNo.2である常務は本学建築学科OBの井川さんだ。

 滋賀県生まれ。絵やデザインが好きで建築学科へ。山崎三郎先生のゼミでまとめた卒業制作は「芸術家村」構想。アトリエ、美術館などを配し、画家らも暮らす一大アートセンターだ。「芸大志望の時期もあり、美術部の部室で油絵ばかり描いていた。登山の得意な部員がおり、北アルプスだ、八ヶ岳だと何日もかけて山に入っていました」と青春時代を思い出す。

 就職先は実家に近い関西エリアで探した。おじの工務店を継ぐ気持ちもあった。今ほどの不況ではないが、第1次オイルショック(1973年の第4次中東戦争ぼっ発による石油価格高騰)の余波が冷めず、きびしかった。資本金5000万円以下の大きくない会社、いろんな仕事ができること――というユニークな選択基準で、「一番面白そうなのが高松建設だった」。そのころ社員は85人。

 間もなく第2次オイルショック(1979年のイラン革命などにともなう原油価格上昇)へ。本社で積算部、工事部、購買部などを歩いた。土地活用の賃貸マンション経営を設計・施工から提案する資産活用ビジネスを展開し、業績は伸び、85年には自ら手を上げ東京支店の営業へ。バブル経済の真っ盛りは首都圏で過ごした。

 「わが社ならではの提案を理解していただく顧客をメインにした」と井川さん。「開発中の土地を『倍で売ってくれ』と不動産業者が持ちかけてくる時代でした」。

 堅実経営は変えず、やがて大証1部、東証1部に上場、高松コンストラクショングループは資本金50億円、従業員約3000人へ飛躍をとげていく。井川さんは2001年取締役、04年には執行役員営業本部長に。

 さて金剛組。社寺仏閣づくりの老舗だ。事業を広げすぎ2006年、経営危機に。「日本の伝統の技を消すわけにいかない」という経営トップの判断もあり、グループがM&A手法で一肌ぬぎ、井川さんらがグループから移籍し任された。あわせて中部地方に拠点をおく、やはり宮大工の中村社寺(本社・愛知県一宮市)を買収。こちらは井川さんが社長を務める。

 金剛組の最初の建築は大阪の四天王寺。日本書紀によれば百済から3人の匠を招き、578年に建てた。その1人が金剛家初代の金剛重光。織田信長に焼かれるなどし、そのたびに復元したのも末裔たちだ。以来、今の39代までめんめんとつづく。

 かかえる宮大工の数は約120人。井川さんは1級建築士だが、「古建築はまったく無縁。関わるとは夢にも思いませんでした」と本人もびっくり。完全なる徒弟世界。

 「『五意達者』という言葉があります。設計、デザイン、施工、積算、そして伝達つまりコミュニケーション、これがすべてできなければ一人前といわれない。オールマイティーの職人領域、もう天職の集団です。この考えを基本に、健全にやっていきます」という。全国14万におよぶ寺社が顧客だ。

 東京と名古屋の往復で忙しい。関西にある建築学科OB会「CITA会」(Aはアーキテクト)の会長。「美術部は毎春、銀座で個展をやります。今年はぜひ出展したい」と意気込む。

 「千葉工大の先輩は全国のさまざまな会社で活躍しておられ、大企業の要職におられる方も多い。私も人脈を紹介していただいたり、励まされたりと、たいへんお世話になりました。先輩を気軽にお訪ねください。いつでもバックアップしてくれますよ」

NEWS CIT 2010年5月号より抜粋