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※本文中の役職等は取材当時のものです。

バルセロナで創作35年
安らぎの空間目指す作品作りに意欲

「美しいもの、安らぎのあるもの…」と山本さん
「美しいもの、安らぎのあるもの…」と
山本さん

画家・彫刻家

山本 正文氏

(昭和45年 建築学科卒業)

 「花が好きなんです。高山植物の傍にねころんで、それをじっと見ている、とても居心地のいい空間――」

 山本さんはスペイン・バルセロナ在住の銅版画家。目指す作品は、人々にそんな安らぎを与えてくれるのだろう。優しく幾重にも重なる色彩の微妙な美しさは、内外から高く評価されている。このほど来年1月の個展準備のために一時帰国した。

日本在住画家より日本的

 山本さんは「意識して制作しているわけではない」と言うが、その作品はスペインでは日本を強く感じさせると言われている。美術評論家・瀬木慎一さんは山本作品を「幽玄」と評す。また、山梨県立美術館学芸課長・向山富士雄さんは「日本が色濃く出ている。遠い異国で知らず知らずのうちに日本を探していたのではないでしょうか」と話している。

 「自分ひとりでは恐らく何もないですよ。若いときに出会った日本の人たち、故郷の色合い、それにパチンコ台の色まで私の中に重なっているのでしょう」。ご本人はそう言う。

 山本さんは、水墨画のようなジョアン・エルナンデス・ピジュアン、色彩豊かなラフォルス・カサマダという正反対の作家に影響を受けたという。10年ほど前の帰国時に日本人画家の作品に触れる機会があったが、テクニックの細かさと西欧風の作風に〝自分とは違う〟と思ったそうだ。

 1947年(昭和22年)山梨県櫛形町(現南アルプス市)生まれ。70年に千葉工大建築学科を卒業してパリへ…。

 「就職、就職と言われるのが嫌だったから。画家になることなど全く考えていなかった。フランス語学校がルーブル美術館のパスをくれたので通いましたよ」

 「パリでバルセロナの版画家に出会った。これが大きなきっかけになりました。エッチングの人でしたが、わたしはそれがどんなものか知らなかった。翌年バルセロナに移りました。日本人慣れしていない町だったこと、それにワインがうんと安かった!」

 バルセロナ――スペインの中でも独特な文化を持つカタロニアの中心で、ピカソ、ミロ、ダリそしてガウディなどの芸術家と深い関わりを持つ都市だ。

 地元の工房で働き始め、作家たちの作品を刷って生計を立てた。当然版画家と知り合う。自ら制作を始め、やがて工房を持つ。そこに当地の美術界を代表する作家たちが次々に訪れ、版画のテクニックや表現感覚を磨く機会を得た。

 「わたしは外交力ゼロですから、自分を売り込むことなどできない。しゃべるのも得意じゃないので、すべてを目で吸収しました」

 88年、マドリードのサン・フェルナンド王立美術院版画美術館で版画工房展を開催した。以来、山本さんの工房は現代版画の基地として注目されている。各地で作品を発表、92年のメキシコ国立版画美術館での大規模な回顧展では独自の世界が評判を呼んだ。

建築学科と版画と恩師と

 「私の学生時代ですか、熱心とは言えなかったなあ。建築学科を選んだのも、ケンチクカという響きが良かったからです」

 当時の恩師で前学長である宇野英隆常任理事は、山本さんの現在に建築は大いに影響しており、それは彼が建築の根幹を学んだからだと言う。

 ミシェル・ビュトールら多くの詩人たちとのコラボレーション詩画集が評判だ。“詩人は月、私はスッポン”と謙遜するが、詩人が山本作品に触発され詩を付ける。

 山本さんはデッサンをしない。「まず線を一本引く」「デッサンをしておけば無駄は出ないでしょう。でも私は無駄も利用してしまう。作りながら引っ張り出すのです、自分が感じる美しいものや安らぎのあるものを…」

NEWS CIT 2006年10月号より抜粋