※本文中の役職等は取材当時のものです。

良き指導者との出会いと
母校を誇る心

「空手道が教えてくれた人生だ」と溝邊氏
「空手道が教えてくれた人生だ」
と溝邊氏

千葉工業大学 技術士会会長

溝邊 哲男(みぞべ てつお)氏

(昭和36年 電気工学科卒業)

 鹿児島県末吉生まれの溝邊さんは、「地元の大学へ進んで小学校の教師にでもなろうかな」と思っていたが、叔父から『これからは技術の時代だ。中央の大学へ行け』と言われて、本学を受験した」という。

恩師の推薦で日本工営に

 入学後は、学寮(当時は大久保寮)に入り、同級生に誘われて、空手部に入部した。

 そして、卒業後は日本工営(株)に就職した。「この会社を選んだのは、恩師・鈴木光勤教授から『君のような人間は海外で活躍している日本工営に行け』と推薦されて入ったのです。ただ、入社試験はとても難しかった」と振り返る。

 日本工営(株)は東証一部に上場され、現在、日本工営グループには博士30人、技術士827人を擁している日本最大の総合技術コンサルタント会社。国内外でダム、発電所、送電線、変電所、配電線、河川、空港、道路、港湾、鉄道、環境、情報通信、灌漑などの調査、設計、施工管理の大型プロジェクトの仕事をしている。

良き指導者に出会った

 空手は大学の1年生から始めた。「空手は自分に合っていたのか、3年生の後半に空手部主将になり、その間、学寮長にもなった」という。昭和35年、主将の時に(社)日本空手協会の全日本大学空手道選手権大会で本学が一昨年に続き、組手で全国優勝した。「空手部が強かったのは、先輩に高浦英児さんという良き指導者がおられたからです」と述懐する。

 個人では、同年に組手の部で関東代表として第4回全日本空手道選手権大会に出場したのが、忘れられない思い出になっている。この大会には師範などの高段者や指導員のプロ選手も参加した。溝邊さんは初段ながら準々決勝まで勝ち進み、その健闘が称えられ、特別賞として東京都知事賞を受賞した。

技術者必携の資格を取得

 溝邊さんは日本工営(株)に入社後、自分の技術研鑚のために、電気技術者に必要な資格取得に挑戦した。その主な一部を紹介すると、消防設備士、第一種電気工事士、第一種電気主任技術者、そして昭和50年に技術士(電気・電子部門)を取得した。

 この間、会社では、平成3年に取締役に就任。常務取締役・電力事業本部長、代表取締役専務を経て、平成13年に代表取締役副社長に就任し、特別顧問を経て昨年6月に退任、現在は社友。

 一方、(社)日本技術士会では、国家試験の第二次技術士試験委員、平成5年に(社)日本技術士会理事、電気電子部会長、その後、平成13年日本技術士会副会長を務めた。

 大学卒業後も空手との結び付きも強い。本学空手道部OB会長を務め、その間全日本理工科系大学空手道連盟理事長に就任した。平成4年には空手7段位を取得した。平成11年(社)日本空手協会大学OB連合会長を6年務め、現在相談役。平成12年(社)日本空手協会理事に就任、現在に至る。

 「私を育ててくれたわが母校に恩返しのためと、卒業生、在学生に少しでもお役に立てばと思って、他大学より少しでも早く技術士会を設立。本学の発展に寄与できればという思いで、有志と共に立ち上げることができました」と語っている。

“母校を誇る心”今でも

 後輩の学生たちには「私の45年間の実社会での経験から、大学で学んだ基礎的な学問と、空手で鍛えられた体力と強靭な精神力、そして、寮生活で学んだ、良き先輩後輩の人間関係が実社会では大変役に立った。私は、千葉工大で素晴らしい先生に学問と空手を学んだことについて、いつも感謝しています。そしてこのことを今でも誇りに思っています」と人間関係と母校を誇る心の大切さをアドバイス。

 さらに、「何事も誠意をもって〝こと〟にあたれば不可能なことはないと思います。そしてすべてのことに感謝の気持ちを忘れずに行動することです。企業は、クラブ活動をしている活力ある学生を求めているのですから」と、サラリーマン生活で得た経験からの助言も付け加えた。

 今も、溝邊さんはボランティアで地域の人たちに空手教室を開いて、空手を教えている。座右の銘である「敬老慈幼」の精神を教えている。「敬老はお年寄り、親、先生、先輩など目上の人を敬い大切にして、弱きもの、幼きものを慈しむ心を持つことが大切だ」と語っている。

NEWS CIT 2006年4月号より抜粋