※本文中の役職等は取材当時のものです。

組織対応能力を養え!

「ESSの経験が生きた」と山下氏
「ESSの経験が生きた」と山下氏

キヤノン(株)専務取締役

山下 征雄(やました ゆきお)氏

(昭和37年 工業経営学科卒業)

 キヤノン株式会社(御手洗冨士夫代表取締役社長)は、カメラやインクジェットプリンタなどのコンシューマ製品、レーザービームプリンタや複合機などのオフィスイメージング機器、半導体露光装置をはじめとしたインダストリー製品など幅広い事業分野を持つメーカーだ。世界ランキングから見ると、ビジネスウィーク誌のベスト・グローバル・ブランド日本のブランドで4位を占めるグローバル優良企業だ。そこのナンバー2が山下征雄専務取締役人事本部長。

印象に残った会社の風土

 山下さんは、昭和37年(1962年)に本学の工業経営学科を卒業し、その年キヤノンに入社した。「この会社を選んだのは、給料が高かったのに加え、それ以上に会社の風土が非常に自由奔放なのが魅力的でした。チャレンジ精神も旺盛で将来性も感じました。将来性と会社の風土が一番印象に残っていますね」と語る。

 入社後は、生産技術部に配属され、工場計画と工場内の改善を担当。その後、事務処理用のコンピュータが初めて会社に導入された際、生産管理のコンピュータ化が企画され、生産管理機械化推進委員会が設置された。山下さんはこの委員会のメンバーとして事務管理を担当した。後にこの業務が拡大し、事務管理が設置されたとき、人事異動があり、しばらくはその課長として事務合理化の仕事をしていた。そしてその頃、ちょうどキヤノンのヨーロッパにおける販売会社の組織が急拡大の時代で、コンピュータ処理を導入し始めた。その取りまとめに『ヨーロッパに2、3年行って来い』と言われて「キヤノンヨーロッパ本社」のあるアムステルダムヘ赴任した。しかし、結果的にはヨーロッパに20年も滞在することになってしまった。キヤノンにとっては海外販売組織の拡大期で、各国に設置した販売会社の経営改革が急務になっていたのである。このため、山下さんは事務管理の仕事から「キヤノン・ヨーロッパ」の社長スタッフに移り、これがきっかけで、41歳の若さで「キヤノンUK」(当時キヤノンヨーロッパの販売子会社)の社長に就任した。「運がよかったのは、大学の時にESS(英会話部)に入っていたことです」と話す。

 平成3年にキヤノン(株)取締役に、平成8年には「これからは人事部門のトップも経営感覚のある人間でないと駄目だ」と、御手洗社長からの名指しで取締役人事本部長に推された。その後、常務取締役人事本部長、平成11年には専務取締役人事本部長に就任した。現在も人事本部長が主務だが社内の各種委員会の委員長も兼ねていて多忙な毎日だ。

 「キヤノンの経営組織は、全取締役が執行役員として担当部門を持ち、直接指揮している。非常に求心力の強い一体型組織です」と実情を語る。いま話題の御手洗社長の経団連会長就任の話に触れ、『山下専務の負担も増えるのでは?』との問いには、「今は微妙な時期ですから、なるべく社内では触れないようにしています」と笑いながら答えた。

 「成功の秘訣は分からないですね。運がいいのかもしれません。でも運を実現する努力はあると思います」と話した。「それに一般的に工業経営学科卒業の人は、会社を良くしようとする経営意識が強いと思います。どんな仕事についても、会社を良くしようという経営改善の意識ですね」と言い切った。

 山下さんは「田舎で呉服屋をやっていた親父は、ボクが3歳の時に亡くなりました。その後、母親と姉や兄に育てられました。高校は静岡県の掛川西高校卒業。大学を選ぶときは、入学も浪人はしないで、就職も縁故なしでもできる学部にする必要がありました。当時、工学部の就職率が圧倒的に良かったのです。そんなことで進路を決めてしまいましたが物理や化学が苦手で全く工学部向きではなかったですね。それが工学部へ入ってしまったものだから、よく卒業したなと思いますよ」と楽しそうに説明する。

 学生時代は「あまり真面目な学生ではなかったですね。マージャンとか、遊ぶ時間が多かったですから。寮にも1年間、大久保寮に入りました。部活はやりましたが、歌声喫茶にもよく通いました。アルバイトもデパートの中元などの配達もしました。そういうのも悪い経験ではないですね」。

 本学の後輩たちには「組織の中では一人では生きられない。だから人間関係を築けるような、それに役立つ経験、人の気持ちを理解できるようなことを身につけてほしい。組織対応能力をつけてほしい」とアドバイスしてくれた。趣味はゴルフと釣り。「釣りには今でも出かけます」と語った。

NEWS CIT 2006年1月号より抜粋