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※本文中の役職等は取材当時のものです。

ナノテクノロジーの世界拓く
研究室から始めた本当の勉強あきらめず新分野への挑戦を

「成田山行脚にも参加した」と思い出を語る北村真一氏
「成田山行脚にも参加した」と思い出を語る北村真一氏

日本電子(株)第1技術本部第2グループ

北村 真一(きたむら しんいち)氏

(昭和61年 大学院金属工学専攻修士課程修了)

 東京都昭島市の日本電子(株)(JEOL)の研究室で、ナノテクノロジーによる「走査トンネル顕微鏡」の研究に取り組んでいるのが、北村真一さん(42)=昭和59年3月金属工学科(現在の機械サイエンス学科)卒業、同61年に大学院修士課程金属工学専攻を卒業した。

 北村さんは1986年に日本電子(株)入社後、3年間はオージェ電子分光装置(AES)の開発に、その後、超高真空走査トンネル顕微鏡/原子間力顕微鏡(UHⅤ-STM/AFM)の開発に従事し、現在は同社第1技術本部第2グループに所属している。

 北村さんの研究内容は高度で、その研究を表現するのはなかなか難しい。すべてが、ナノテクノロジーの世界での話になってくる。ナノテクノロジーにおける歴史的な偉業は計り知れない。北村さんの説明によると、STMによる800℃を超える高温度下での原子像観察は、結晶表面での原子の振る舞いを動的に観察できることから、1990年代前半は超高真空―走査トンネル顕微鏡(UHⅤ/STM)のトレンドになった。

 この火付け役となったのが、1991年5月16日号の英国科学雑誌「Nature」に掲載された北村さんの論文とのことである。また、1995年にUHV NC-AFMにより真の原子像が得られて以来、絶縁物を含めたあらゆる表面における原子/分子分解能での観察には、UHⅤ NC-AFMが期待されるようになった。今日では、ナノテクノロジーには欠かせない装置の一つに挙げられるという。

ナノ研究は世界にも実証

 北村さんは、このUHⅤ NC-AFMが原子分解能を有することを国内で初めて実証した。この研究成果は、1995年1月15日号の「Jpn.j.Appl.Phys」に掲載された。その後も、NC-AFMから派生したケルビンプローブ顕微鏡による表面電位像観察で世界で初めて原子分解能を実証し、最近では分子ナノエレクトロニクスの分野でも原子分子分解能を持つ計測技術として注目されている。

 現在の仕事の内容は、走査プローブ顕微鏡(SPM)の研究開発および製品開発がメーン。だが、製品販売における技術的な説明や特殊工事製品の製造フォローや納入フォローなども行い、社内的には、SPM部門の利益管理をする立場にもある。

 北村さんは、あの“川中島の決戦”で有名な長野市川中島の生まれ。長野工業高校から本学に進んだ。「第一志望は機械工学科だったのですが、入学できたのは第二志望の金属工学科でした」と苦笑する。

 入学して1年間は千種寮生活を送った。「寮生活は厳しさもあったが、とにかくやたら楽しかった」と当時を思い出す。「部活は高校時代から柔道をやっていたので、大学でも柔道部に入りました。普段の練習はそれほどでもなかったのですが、夏と春の合宿はかなり厳しかったと思います。だからといって、アテネのオリンピック選手とは比較にもなりませんがね。また伝統の成田山行脚にも柔道部員として参加しました。途中で酒を飲んだりもしましたよ。その他には、長期の休みに泊まり込みのアルバイトをしたり、旅をしたりもしてました」と、在学時代の楽しかった思い出を懐かしそうに語る。

雀部研での研究が土台に

 「外研でしたが、厳しいと評判の雀部研究室に入りました。確かに厳しかったのですが、めりはりのある研究室での日々は大いに自分を成長させてくれたように思います」と言う。「就職活動らしいものはたいしてやらなかったが、面接の時には、はっきりと『研究開発をやりたい』と述べました。強く自己主張した事がよかったみたいです」。いまは、その希望がかなって、活躍しているから素晴らしい。本学から日本電子(株)へ入社したのは7年ぶりだったという。

 本学の後輩たちには「大学の様変わりはありますが、やはり大学では研究室に入って本当の勉強ができるのだと考えます。そして、何ごとにもあきらめずに、新しい分野にどんどん飛び込んでいってほしいと思います」と、ご自身の体験から、エールを送っている。現在、帰宅時間は毎日のように午後11時ごろになるが、それでも休日は、ガーデニング(観葉植物)とお気に入りの車(ワーゲンバス)の修理に熱中するという。

NEWS CIT 2004年9月号より抜粋