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※本文中の役職等は取材当時のものです。

世界に誇る陶板名画美術館建設
人柄で同窓会をまとめる

「活力ある同窓会を・・・」と語る奥田社長
「活力ある同窓会を・・・」と語る奥田社長

千葉工業大学同窓会長
大塚オーミ陶業(株)代表取締役社長

奥田 實(おくだ みのる)氏

(昭和31年工業経営学科卒業)

 今年5月に東京のホテル・オークラで開催された千葉工業大学創立60周年記念式典で、豊田耕作理事長は、前身の「興亜工業大学」の陶板製校旗を同窓会から寄贈された。約5万6千人の本学同窓生の総意だった。この陶板を製作したのが、奥田同窓会長が経営する大塚製薬グループの大塚オーミ陶業株式会社(本社・大阪市)。同社は美術陶板、建築陶板を扱う特殊なメーカーとして知られている。

 奥田さんは、滋賀県の信楽焼の4代目に生まれ、今も甲賀郡信楽町に住んでいる。県立甲賀高校を卒業後、昭和27年に千葉工業大学工業経営学科に入学した。「その頃は、本学の授業料が比較的安かったからだったのじゃないかな。工業経営を選んだのは、マネジメントは大切と考えていたからです。文系の大学の経済学部と違って、“モノづくり”というか、そこに生産工学の原点があったからだと思います。でも、当時は、小学校の同級生でも大学へ進学できたのは2人くらいと厳しい時代でした。私も苦学生でしたよ。入学金が払えず、事務の窓口に相談に行ったほどでした、本学はおおらかな時代で、『青嵐寮』寮長もやりましたが、寮費は2食付きで1800円くらいでした。学生運動も経験しました」と、楽しかった学生生活を懐かしそうに語る。

 昭和31年に大学を卒業したが、「信楽焼を続けていた父親が早くに亡くなり、叔父が継いでいた家業の近江化学陶器(株)に入社しました。まる17年間、ずっと火鉢や植木鉢など伝統的な焼き物を手掛け、オイルショックも経験しましたよ」。

 この間、奥田さんは商品企画を担当、ここで建築物に着目したという。昭和33年から外装タイルの製造販売を始めた。昭和48年に大塚化学(株)との共同出資で、現在の大塚オーミ陶業株式会社を設立。パートナーとしてのプロジェクトチームを結成して研究を続けた。その結果、これまでは考えられなかった大型陶板(0・6メートル×3メートル×0・2メートル)の製作に成功した。そして、尾形光琳の「燕子花(かきつばた)」をはじめ、昭和45年には、画家の岡本太郎画伯と共同で大阪万国博覧会の象徴ともいえる「太陽の塔」の黒い顔の塔を制作。その後は、国会議事堂の改築、東京国際空港ターミナルビルの大壁面、皇居前にあるパレスホテルの外装など幅広く数多いプロジェクトを生み出した。

 限りない“陶の世界”の研究の結晶が「大塚国際美術館」の誕生だった。同美術館は大塚製薬グループ創立75周年記念事業として、8年計画で、平成10年3月に徳島県鳴門市の国立公園内に建てられ、日本最大の「陶板名画美術館」といわれる。総工費400億円で、特殊技術によってオリジナル作品と同じ大きさの陶板による西洋の名画が展示されている。世界25カ国・190余の美術館が所蔵する古代壁画から現代絵画まで至宝の名画1074点。中には門外不出のピカソの「ゲル二カ」も。どの作品も原画とほとんど遜色ない出来栄えで見る人を感動させる。これらの企画、交渉はほとんど奥田さんの尽力によるものだ。

 平成5年には、千葉工業大学同窓会長選挙に推され、第5代同窓会長に選ばれた。就任時の「活力ある同窓会づくり」の考え方は、今も変わっていない。以来4期10年と、その人柄と手腕をみせて同窓会長を務めている。「同窓会は全国で58支部になりました。今年は、中国、四国などといったブロック別の地域交流をはかりたい。それに上場企業の役員数が全国で50位以内に入っており、大学とも話し合い、PPAなども含め、年2回ぐらい会合を持ちたい。同窓会には派閥のようなものが全く無いのが何よりです」と語る。

 「豊田理事長とも長い付き合いですが、先を見る目があり、尊敬しています」と、同窓会と大学との関係は申し分ない。大学の教職員には、「学生を徹底的に厳しく教育してほしい。学力の向上こそすべてにつながるからです」と、注文する。

 信楽の本社工場、東京支社、そして大塚国際美術館を忙しく行き来しているが、いま仕事の合い間を縫って、美術関係の博士学位取得のため、論文をまとめている。来年には70歳を迎えるが、「私にはストレスというものが無いのです」とニッコリ笑った。

NEWS CIT 2002年8月号より抜粋