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※本文中の役職等は取材当時のものです。

チャレンジ&クリエイト 無から産み出すアイデアが勝負

チャレンジ精神を説く小林社長
チャレンジ精神を説く小林社長

東洋バルヴ(株)

小林 栄(こばやし さかえ)氏

 昭和15年生まれ、農家の三男坊。多感な少年時代を新潟で過ごす。親の干渉を嫌って、高校卒業を機に郷里を離れた。当時はやり出したインダストリアル・エンジニアリング(IE)に憧れて千葉工業大学、工業経営学科に入学。早稲田、武蔵工大にもインダストリアル・エンジニアリングがあったが、「授業料が安かったので千葉工大一本に絞りました」と語る。

 物心がついた時から自立心旺盛で、自分の意見をはっきりいうタイプ。負けん気も強く在学中に早くもそれが爆発したときのエピソードを苦笑しながら語ってくれた。「3年生の夏休みに、工場管理実習でダイキン工業に行った時のことです。水中ポンプを作る作らないの話で当時の山田社長と言いあいまして『君は学生のくせに生意気だ』と言われ、つい『誰がこんな会社に来るもんか』と淡呵を切ってしまった」。自分が良いと思ったことは誤解や衝突を恐れず、果敢にチャレンジしたそうだ。自信と進取の気性の証左である。

 在学中は、海外に出たいとの一心で英会話をマスターするため、英語サークルに入った。またインダストリアル・エンジニアリング研究会も氏が作ったものだ。おのずと授業よりも、これらに身が入った。

 「とにかく異端者でしたね。卒論でも工経なら普通は、工場に行って作業時間とか工程管理のデータ分析を行うのですが、私は電通とか博報堂を回って広告のあり方というのを書きました」。この卒論が学科内で波紋をよび、卒業させる、させないの問題にまで発展した。しかし、ほかの成績が良かったため卒業がゆるされたという一幕も。

 卒業した昭和38年は、商社が工科系の学生を採りはじめた年で、メーカーより商社の方が面白そうだと木下産商に入社。2年後に三井物産に吸収合併される。三井物産では、東大、京大、一橋大OBが並居る中、孤軍奮闘。「要はアイデアと努力です」その言葉どおり、平成6年、産業機械部長に昇進、同9年には理事となった。在職中、業績優秀により語学研修生としてドイツに派遣される。オーストリア、チェコスロバキア勤務を経て、昭和54年に大阪へ。以来25年間の大阪暮し。

 「私がこうなれたのも『人の三井』と言われるように、三井物産の社風が非常に良かった。合併の時も差別されず自由闊達で、収益になると思われる事業であればなんでも自分でやれるという雰囲気がありました」このことが良かったのだという。世の中の動きを読みながら、フットワークよろしく柔軟に対応していくということであろう。「既成概念で、自分は何の専門だからどうの、こうのと言っていたのでは生きられない時代になってきたのです」。時代が異端を正統とした。

 平成10年の東洋バルブ社長就任も氏の手腕が買われてのこと。就任早々、まずは現場を知ろうと、社長自ら工場内を見て回った。そこで担当者から直接話を聞き、その場で手配する。このあたりの判断には、工業経営学科での知識が役立ったという。

 最後に「いまインターネツトなどの情報通信が盛んですが、やはり日本の経済成長の源は製造業です」と前置きし、「この社を建て直すのは自分しかいないと思ってやるのです」。

 社への情熱と「やつたるで」の精神は今も健在だ。

【東洋バルヴ(株)】

 大正8年創業。バルブの歴史は東洋バルブの歴史と言われ、品質第一主義を貫き70余年。技術と品質の優秀さで海外100数カ国に輸出。未来社会を支える先進の流体制御専門メーカーを目指す。

NEWS CIT 2002年3月号より抜粋