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※本文中の役職等は取材当時のものです。

モットーは『誠実に生きる』
社員が張りをもてる会社めざし

仕事に張りを持って・・・・と岩松社長
仕事に張りを持って・・・・と岩松社長

神明電機(株)社長

岩松 一郎(いわまつ いちろう)氏

(昭和22年機械学科卒業)

 ハイテク時代。多用されるスイッチ類製造を主力にした神明電機(本社・川崎市)のオーナーで、本学第一回機械学科(昭和22年9月)卒業生の岩松一郎氏は、起業家スピリットに冨む。

 「学生時代? 戦争をはさみ、勉強らしい勉強はできなかった」と残念そう。学徒動員で工場や農村で働き、敗戦の玉音放送に全身がなえた。食料難時代。自宅に近い多摩川の河川敷ゴルフ場でくわや下肥をかつぎ畑を開いた。「イモ、ニンジンなどよく育ち、一部を近所へ売った。にわか百姓です」と笑う。

 そのころ校舎は千葉県君津町にあったが、寮などが漏電で焼けた(22年2月)。「作業服が焦げるほど火勢は強く、どうにもならなかった」。鮮烈な思い出である。

 「いずれ科学技術の時代が来る」との予感から本学を選び、卒業したものの、待っていたのは就職難。最初に入ったトランジスタラジオ部品製造の小さ収会社は3年で倒れ、次の工作機械のメンテナンス会社は朝鮮戦争特需の下降とともに5年で解散してしまった。

 サラリーマンはもういや。知り合いの2人を誘って独立したのは31年。「最初の会社で懇意だった人がスイッチ会社を起こしていて、『バリアブル・コンデンサーを造れ』と助言してくれたんです」。需要が増え始めたトランジスタラジオに欠かせないパーツである。ところが、小型高性能の製品をつくるライバル会社の攻勢に、赤字が膨れ、3年間は苦労の連続。その後、トリマーコンデンサーにシフト、取引先に大手家電メーカーがつき、借金を返しおおせたころは、さらに約10年の歳月が流れていた。

 時代は動く。求められる製品も変わる。開発の苦労は絶えないが、続く約10年間はテープレコーダーカウンターに進出、一時は月産最大200万個も作った。さらに、いまスイッチ分野へ。

 「初めはポケベルのスイッチでした。懇意の会社がつぶれ、義理で引き継いだんです。金型から作り直す一からの出発でしたが、ドル箱になった。利益のことばかり考えていると、あまりいいことはない」。責任と信用の大切さを強調する。

 スイッチ分野の競争は激しい。しかし、スケールメリットはある。他社にない優れた製品さえあれば、業績は伸びる。それが企業の生きる道でもあるという。「中小企業を立ち上げるとき、大企業のやらないすき間市場を狙うが、いずれは大手メーカーの必要とする分野へ広げていかないと、伸びは止まる」と、ベンチャービジネスについても広い視野での事業展開をアドバイスする。

 社名は創業の地名からとった。「規模を大きくすることがすべてではない。社員がところを得、健康で、仕事に張りをもって生活できることが一番です」。苦労人らしい人柄がにじむ。

 「誠実に生きる」がモットー。「学校で学ぶことはわずか。聞題にぶつかったとき、何を、どう調べたらよいかを身に付けてほしい」と、後輩にエールを送った。

NEWS CIT 2000年8月号より抜粋