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2018.1.15

fuRo、パナソニックと次世代家電へ連携


ロボット技術を提供
 本学fuRo(未来ロボット技術研究センター)と家電最大手のパナソニック(株)=本社・大阪府門真市、津賀一宏社長=が共同で、次世代ロボティクス家電などの製品化に取り組む「パナソニック・千葉工業大学産学連携センター」が12月13日、設立された。製品開発を前提として、大学が持つ先端技術の企業への提供を目的とするセンターの誕生は、国内では極めてまれなケースだ。
記者発表で(左から)瀬戸熊理事長、渕上副センター長、古田センター長
記者発表で(左から)瀬戸熊理事長、渕上副センター長、古田センター長
津田沼校舎内にセンター
 センター長には古田貴之fuRo所長、副センター長にパナソニックアプライアンス社=別項参照=の渕上英巳常務/技術担当・(兼)技術本部長が就任、津田沼キャンパス7号館1階に研究・開発拠点が新設された。
 連携センターの設立はfuRoが持つ最先端のロボット技術・知能化技術と、それらを統合した完成度の高いロボット開発能力に着目したパナソニック側からの本学への働きかけで実現した。
 fuRoの研究・開発力とパナソニックが持つ信頼性の高い家電製品の企画・開発力とを融合し、アイデアの創出から具現化、製品化に向けた技術開発に、両者が共同で取り組んでいく。
 連携第1弾は、fuRoが開発した「ScanSLAM」と呼ばれる高速空間認識技術を活用した次世代ロボティクス家電の製品化とすることで両者が合意している。
 SLAM(Simultane ous Localization and Mapping)とは、レーザーやカメラなどのセンサー情報を解析して自己の位置を推定しつつ周囲の地図を構築する、自動操縦やロボットにおける“人間の目”の役割に相当するコア技術。移動ロボットの自律走行技術を実証する「つくばチャレンジ」などで鍛え上げられたScanSLAMは、世界トップレベルの高速性能を有している。
 これまでの大学と企業との産学連携では、基礎研究などのR&D(研究開発)を目的とするケースが圧倒的だ。それに対して、本学とパナソニックの今回の取り組みは、大学が持っている先端技術を円滑かつスピーディーに実用化し、オープンイノベーションを加速して新たな製品を生み出すことで、「新しいくらし価値」を発信することが狙い。
 「千葉工大の建学の精神<<世界文化に技術で貢献する>>をまさに具現化する新たな取り組みです」と、古田センター長は胸を張った。
「つくばチャレンジ」で完走した移動ロボットで、SLAMによる地図構築のデモを行った
「つくばチャレンジ」で完走した移動ロボットで、
SLAMによる地図構築のデモを行った
製品化第1弾はロボティクス掃除機
 連携センターの研究・開発拠点が置かれた津田沼7号館の正面には12月13日、「パナソニック・千葉工業大学産学連携センター」の新たな表示が取り付けられた。
 瀬戸熊修理事長、古田センター長、渕上副センター長が出席して行われた記者発表には約50人の記者やカメラマンなどが集まり、“千葉工大発”のニュースへの関心の高さを示していた。
 席上、古田センター長は「これまで大学の研究者は、製品化のイメージを持ちながら中・長期的に研究をすることと、企業と事業化・製品化のためのパートナリングの取り組みをしてこなかった。そういう意味で、この連携センターができたことは、日本の産業界にとって大きな意味があると思う」と強調した。
 また、渕上副センタ―長は「このセンターの活動を通した今後のパナソニックのロボティクス家電の発信に、ご期待をいただきたい」としたうえで、「2019年度中にまずロボティクス掃除機の製品化を想定している。その製品には千葉工大との連携の成果であることを明示する」と話した。
 今後、連携センターにはパナソニックの技術者10数人が「出張レベル」(渕上氏)で詰め、fuRoの研究員たちと「ひざ詰め」(古田所長)で研究・開発活動を行う。
パナソニック(株)アプライアンス社
 パナソニック(株)内にある4つの社内カンパニーの1つ。家電からオフィス・店舗に至る幅広い商品の開発・製造・販売を担っている。

空手道部の書 大学側に移譲


故川島氏揮毫 新武道場の建設で
 新習志野キャンパスの茜浜運動施設に昨年11月9日、体育会空手道部の本拠地となる武道場が新設されたのに伴い、旧来の道場に掲げられていた書が、同部から大学に保管移譲された。
 「眞實一路」と書かれた書は、衆院議員で自民党幹事長、副総裁、五輪担当大臣などを務めた第7代本学理事長(59〜69年)の故川島正次郎氏が1963(昭和38)年に、空手道部のために揮毫したもの。以来、道場で部員らの成長を見守ってきた。
 川島氏は、米国に沖縄返還を決定させるのに重要な役割を担った人物として知られる。本学でも大学設立から苦難が続く中、初めて安定的な基盤を確立し、本学飛躍に大きな影響力を与えた。道場移転の際、価値の高いものとして空手道部から大学側に移譲の提案があり、瀬戸熊修理事長が快く受けた。新道場には代わりに書の写しが納められた。
写真は川島氏の書を掲げる(左から)真崎伸一・空手部OB会会長(昭和58年卒)、瀬戸熊修理事長、相川文弘教授(教育センター)、根本功氏(7代監督・42年卒)
写真は川島氏の書を掲げる(左から)真崎伸一・空手部OB会会長(昭和58年卒)、
瀬戸熊修理事長、相川文弘教授(教育センター)、根本功氏(7代監督・42年卒)