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2014.3.15

千葉工大×神田外語大


コラボ企画 盛ん
 外国語教育を通じ国際人の育成を目指す文系の神田外語大学(KUIS=千葉市美浜区若葉)と、理系の本学とのコラボ企画が盛んだ。
 “異文化”ながら地元同士、習志野や幕張の魅力をPRしよう、とこれまでに▽ビィー・トランセホールディングス株式会社(千葉市美浜区中瀬)が運行する高速バス(幕張新都心〜東京・銀座間)のラッピングデザイン▽アメリカンフットボールチーム「オービックシーガルズ」(本拠地=オービック習志野グラウンド)支援活動――を、合同で展開した。
 本学学生自治会も2013年度▽神田外語大の英語プレゼンテーション・コンテスト▽けいおんバトル▽大学祭――に互いに出張参加し、学生同士の交流を図った。
 浜風祭(KUIS大学祭)では「CIT出張教室」を開催。ものづくり教室やメカニズム講座、CITクイズで盛り上がった。一方、津田沼祭では、神田外語大“文系ステージ”を持ち込み、KUISが専門領域とする国際的な知識問題に両大学生が挑戦=写真。
 各イベントに参加した木村孝一君(経営情報科学科2年)は「交流によって、文系、理系カラーを再認識した。取り入れたいこともたくさんあり、今後の自治会企画に生かせそう。工業系の強みや各学科の個性を洗い直し、積極的に交流していきたい」と語った。

合格6人が対策伝授


教員試験対策講座開く
 千葉工大のキャンパスから中学・高校の教室へ、創造の楽しさや仲間と学ぶことの面白さを伝えたい――教職課程で恒例の教員採用試験対策講座(今回から教職課程運営委員会主管)が1月25日、津田沼校舎6号館で開かれた=写真。今年度に公・私立の採用試験を見事突破した6人(卒業生、大学院生含む)が、試験の傾向と対策、準備などを、教職を目指す後輩たちに伝えた。
 ▽大学の教職科目を大切にする▽過去問をしっかり復習する――身近な先輩の言葉だけに説得力を感じたようで、在学生たちは身を乗り出して聴いていた。
 その後、軽食しながら懇親会が開かれ、面接の作法や各県の動向などについて、講師役6人に学生たちが質問していた。
 本学では学科により、数学・理科・情報・工業・商業の教員免許状を取得できる。今年度の公・私立採用試験合格者(判明分)は6人(数2、理3、工1)。さらに、常勤・非常勤講師の採用が見込まれている。

薄膜・表面改質を実演展示


サーテックで坂本研など
 ものづくりの基盤である表面技術の総合展示会「SURTECH(サーテック2014」(表面技術協会主催)が1月29〜31日、東京・有明の東京ビックサイトで開かれた。本学機械サイエンス学科には新奇材料・表面工学分野の第一線で活躍する研究者が結集しており、今年も”千葉工大・表面工学研究グループ”名でブース出展した。
 坂本幸弘教授の研究室は研究過程をポスター展示。大学院生を中心に、プラズマCVD(プラズマを使った薄膜蒸着法の一種)によるダイヤモンドライクカーボン膜の作製と、大気圧プラズマによる表面改質を実演した。その様子はユーチューブにも公開された。
 また、寺島慶一教授、坂本教授、井上泰志教授の各研究室が共同研究している薄膜形成や表面改質などが、ポスターと製品を並べて展示された。
 サーテックでは毎年、最新技術の実演や特別講演、各部会講演が催され、表面処理技術の動向を知る絶好の機会。国際ナノテクノロジー総合展・技術会議など8つの展示会が同時開催され、今年は研究機関や関連企業から延べ4万8千人以上が来場してにぎわった。
院生の今宮麻衣さんによる実演実験
院生の今宮麻衣さんによる実演実験

活躍する校友


人生、送りバント
共存共栄点を探る
バイテック副社長
松本 章治(まつもとしょうじ)氏(61歳)
(昭和52年、電気工学科卒)
松本 章治氏
「人を思いやる気持ちを」と松本さん
 「人生、送りバントですよ」。デバイスビジネスで伸びる株式会社バイテック(本社・東京都品川区)の代表取締役副社長、松本章治さんは、意表を突くフレーズで笑わせ、相手の心をつかむ。ピンチを幸運につなげる、明るい苦労人だ。
 札幌市から東へ車で約1時間の北海道長沼町で育ち、高校時代は硬式野球部で白球を追った。セカンド(2塁手)で2番バッター。「送りバントばかり。それと足が速かったので盗塁です」。どこか教訓めいて胸にしみる。
 中学生のころから電気屋でアンプを買い、ラジオを製作した。理系進学をこころざし、札幌市内の予備校に通った。友人との下宿暮らしのせいか気が緩み、2浪へ突入。さすがに親は怒ったという。新聞配達で自活しながら勉強を続けたものの、「いろんな人に染まってしまった」。結局、遅くまであった地方入試に救われ、新聞配達奨学金も得て本学へ。
 新聞の配達は楽ではない。朝刊は未明なのでよいとして、夕方には配り終える夕刊は講義時間と重なるだけにきつい。半年してバイト先を移り、授業料以外の生活費を自分で稼いだ。クラブ活動はしなかった。
 2年生の後期のこと。4室並んだアパートの外壁へ隣の幼稚園からいたずらっ子がしきりに小石を投げつける。「危ないじゃないですか」。その苦情に頭を下げた園の教諭こそ、いまの夫人というから、人生はまさにドラマだ。空間における「空気の流れ予測」をテーマにした卒業研究をグループでまとめ、石油ショックに続く就職難の1976年、自分で探したエレクトロニクス総合商社に職を得ると同時にゴールインした。
 電子部品などデバイスビジネスはそのころ花形。電卓、ゲーム、ビデオ、ラジカセなどへと需要は広がり、日の丸半導体の生産が世界一になった1980年代、日米半導体摩擦が激しさを増す。その荒波の中、87年に総合商社から松本さんらは独立、スタートしたのが半導体専門商社バイテックだ。
 ソニーと特約店契約を結ぶなど、「外部販売で急拡大した」(松本さん)。杜の都・仙台に営業所を立ち上げ、責任者として単身赴任している。商談で東北中を歩き、「新しい顧客を見つけるのが楽しかった」。新商品の情報を得て、メーカーへ売り込む。車載オーディオなどに引き合いが多かったという。7年後に東京へ戻り、その後も営業畑一筋。97年に役員、2010年には代表取締役副社長となった。
 その一方、独自のソフトウエア開発などを目指し、80年代末に系列技術会社バイテックシステムエンジニアリング(本社・品川区)を設立、技術力のアップを図ってきた。同社には本学卒業生も2人いる。さらに、メーカーの工場海外進出とともに北米、中国、シンガポールなどにも支店を出してきた。
 「私の好きな言葉でもあるのですが、ビジネスは『共存共栄』です」と言いながら、人差し指の上にボールペンをそっと置いた。シーソーのようにぐらぐらし、安定しない。「必ず重心はあります。仕入先も、お客も満足する均衡点です。これをどうとるか。ビジネスとはウイン・ウインの関係。30年間営業をやってきて、この経験則だけは変わりません」と力を込めた。共存共栄は、経営の神さまと呼ばれた故・松下幸之助のモットーでもあった。
 3年前から環境エネルギービジネスへも領域を広げている。群馬県中之条町など6カ所にメガソーラー発電所を稼動させ、自治体と連携しながら、電気の地産地消を通した地域活性化を推進中だ。月のうちの3分の2は顧客回りに費やす。好きなゴルフも仕事先とのことが多いという。
 「若い学生には、人間関係を大事にし、人を思いやる気持ちを学んでほしいですね。勉強も。専門的な知識も大切だが、時代とともに必要とされる技術は変わります。基礎学力さえあれば、応用力につながっていきますから」。