※本文中の役職等は取材当時のものです。

M&Aの中で泰然と 社会貢献できる体力を

「考え方、熱意、能力の掛け算で」と平田さん
「考え方、熱意、能力の掛け算で」と
平田さん

京セラインダストリアルツールズ販売(株)社長

平田 博史(ひらた ひろふみ)さん

(昭和57年、工業経営学科卒)

 M&A(企業の合併・買収)は多角化戦略である。ただでも波乱含みのこの渦中へ単身乗り込む苦労は想像に余りある。「まあ、これからです」。1年半ほど前、新社スタートとともにトップになった平田博史さんは泰然と構える。

 「京セラ、リョービの工具買収 世界で市場開拓」

 日経新聞1面に3段見出しのこんな記事が載ったのは2017年9月2日朝刊である。「ニュース知ってるか!」。双方の社員はびっくり仰天した。

 年が明けて1月。リョービの電動工具事業部門を切り離す格好で、京セラ80%出資の新会社(京セラインダストリアルツールズ、本社・広島県福山市)が発足し、副社長とその販売拠点(子会社)である京セラインダストリアルツールズ販売(本社・名古屋市)の社長をまかされた。

 「まさかと思いましたよ。京セラ時代は営業一筋、しかも商品は主に金属加工用切削工具。新社はプロ用とDIY(自分でやる人)向けの電動工具がメインですからね」

 小2から高校まで竹刀をふるった(剣道3段)。薩摩隼人だ。ふるさとは鹿児島県最北端、天草諸島のひとつ長島本島の東町(現・長島町)。いま対岸と橋で結ばれたが、そのころは離れ島。小中を過ごし、高校はツルの飛来で知られる出水市に下宿し、県立高へ通った。

 「卒業したら帰るので大学くらい関東で」。親を口説き、「なぜか入りたかった工業大学を」と本学の門をくぐった。

 質実剛健の風土で育った自称・貧乏学生は、バイトに励む一方、下宿代の支払いを伸ばしてもらうなど苦労している。それでも、卒業する4年の秋、友人らと能登旅行を楽しんだ。就職先に京セラを選んだ理由が面白い。

 1959年に従業員28人で産声をあげた京セラ(本社・京都市)の創業者、稲盛和夫氏は同じ薩摩人。そんなよしみもあったが、当時、滋賀県に1工場、鹿児島県に2工場をもっていた。「3分の2の確率でふるさとへ戻れる」。そう踏んだ。しかし甘かった。配属は機械工具の営業。

 ファインセラミックを使った半導体パッケージの開発・実装に成功した京セラは、セラミック材料をベースに自動車部品や人工膝関節、再結晶宝石などへ分野を広げていく。むろんセラミック製の切削工具開発も。

 「ユーザーさんには常にコストダウン、生産性の向上を求められます。長寿命を実現し、加工品質を上げられないか、と。刃具の変更や切削条件を見直し、生産工程からともに知恵を絞っていく。エンジニアの要素が強く、営業といえども構造系を知っている理系でないと大変でしょうね」

 と、平田さん。製造メーカーの集まる浜松、三河の営業所、そして本社機械工具営業本部が長い。36年目、その営業部長だった身に白羽の矢が立った。

 京セラは電動工具市場の世界的拡大を見込んで米国の工具会社を傘下におさめるなど事業を強化してきた。今回のM&Aもその一環だ。

 それから1年余。

 「社員の顔、商品を覚えるところから始めました。まだ把握しきれていません」と控えめだ。350人ほどいる社員は平田さんを除きみな元リョービ。「人生も仕事の結果も考え方、熱意、能力の掛け算というのが京セラフィロソフィ。この経験を生かして心のつながりを大切に、考え方を共有して社員全員で目標へ進んでいきたい」。

 平成30年7月豪雨では広島県、岡山県などに大きな被害が出た。地元から復旧工具の寄付要請もあった。「精いっぱい頑張ったが、十分ではなかった。しっかり社会貢献できる体力をつけないと」。

 そのためにも売り上げは重要だが、「電動工具は季節商品なんです。寒い冬は庭木をいじりませんから。課題は多いです」と話す。

 自宅は福山市。親会社の本社が4月、同じ広島県の府中市から移転してきた。しかし、名古屋市のこの本社のほか国内48営業所、親会社、ときに京セラ本体へも出向く。席の温まるいとまはそうない。佐伯泰英さんの時代小説のページをめくっているときが「唯一すべてを忘れられる時間」という。

 「えっ、ストレスですか? やはり、たまりますよね」――愚問であった。

NEWS CIT 2019年5月号より抜粋