※本文中の役職等は取材当時のものです。

ニーズに耳を傾け 理研で研究姿勢 学ぶ

「できなかった理由を並べるな」と社員をうながすという常盤さん
「できなかった理由を並べるな」
と社員をうながすという常盤さん

リケンテクノス株式会社社長

常盤 和明さん(ときわ かずあき)さん

(昭和58年、工業化学科卒)

 その名の通り、リケンテクノス(本社・東京)は理化学研究所(略称・理研)の流れをくむ企業のひとつだ。「人の成長なくして会社の発展はない」。米国での16年間の経営体験を胸に、ポジティブな性格で第一線に立つ。

 「中学生のころからサーフィンをしてたんですよ」

 実家は相模湾に面した神奈川県鎌倉市の材木座海岸の目と鼻の先。社会人になって34年、世の荒波にもまれた今の体型から浜辺の雄姿はいささか想像しにくいが、「高校時代の友人はまだ波乗りを楽しんでます」と、うらやまし気である。

 本学へは片道2時間かけて往復した。サークル活動などにかける時間的な余裕はさほどない。鎌倉市内のガソリンスタンドでアルバイトしたり、学科の友だちとマージャンなどをして「遊んでばかり。勉強はさっぱり」。なにか単調なキャンパスライフだったと見える。むろん違う。

 2年次の秋。大学祭で学科は屋台を出し、常盤さんも手伝った。たまたま訪れたのが、いまの奥さんの友だち。その人を介して知り合った当時の奥さんは、他学で幼稚園の先生目指して勉強中だった。以後5年間、絆を深め、社会人2年目にゴールインした。新婚旅行は米国西海岸へ。

 もうひとつの邂逅。4年次、多くは学内で卒業研究をする。理研OBだった指導教授の勧めで、常盤さんは理研(埼玉県和光市)をフィールドに選んだ。「外研」と呼ぶ。

 理研は「研究者の自由な発想を引き出し、研究成果の社会還元」(『理研精神八十八年』2005年)を旨とする、物理・工学・化学にわたるわが国屈指の先端的研究機関だ。常盤さんは生化学部門に入り、試薬を加えたビーカーを振り、たん白質分解酵素の実験を繰り返した。助手に近い。

 「創薬につながる研究で、取り組み方を一から厳しく教えられ、自分の甘さも痛感した」。面白かったのは他大学の学生や院生、企業などの出向組と交わり、ときにソフトボールなどで興じたことだという。データをまとめ無事卒業、これまた縁で今の会社の前身である合成樹脂加工メーカー「理研ビニル工業」(2001年に現社名へ変更)へ1983年入社した。

 都内の工場研究所で品質管理を担当していた7年目、工場長に呼ばれた。「新婚旅行先と反対側だけど東海岸へ行ってくれ。頼むね」。

 1980~90年代、日米は自動車摩擦に揺れた。日本のメーカーや部品会社は北米へ工場進出。コンパウンド事業(塩化ビニール樹脂に添加物を混ぜた複合素材で車の部材や医療器具などに使用)をメインにする理研ビニル工業も米東部ニュージャージー州に合弁会社「リムテックコーポレーション」を設立した。常盤さんは工場の立ち上げ、さらに一時帰国をはさんで次は営業部長として足掛け12年間赴任。2006年に中部ケンタッキー州に二つめの子会社を新設したのを機に、ここでは4年間、社長を勤めた。

 米国は厳しい契約社会だ。労組(ユニオン)も強い。リムテックのユニオンに「自分も工程を確かめながら製造体験したい」と交渉したら、仕事を失うのを恐れてか、当初“ノー”と突っぱねられたという。「でも『よい製品を造るためだ』と説き、同意してくれた。やはり人間同士、信頼さえあれば通じ合う」。なかなかタフである。

 帰国後、本社の経営企画室長などをへて昨年4月社長に。決意を2018年度までの新3カ年中期経営計画に込めた。国内5社、海外は生産・販売あわせてアジア・欧米6カ国に14社の関連会社をもつ。コンパウンド事業のほか日本初の塩ビ製食品包装用ラップ、フィルム製膜など独自技術で、本社を先頭に関係19社を連動、2017年3月期の連結売上高883億円から19年3月期には1100億円へと業績伸長を意気込む。

 「売り上げの半分は海外。お客のニーズに耳を傾け、共同開発していくのがうちの取り柄」と常盤さん。「『できなかった理由を並べるな』と社員をうながしています」。

 では、後輩にも一言。「採用面接すると、考えている学生ほどよく質問してくる。失敗を恐れず、なんにでもトライを」。本社員約660人のうち本学卒業生は15人、決して少なくない。

 社員らとの会話、アルコールでストレスを流す。家族は妻、ともに成人の一男一女。

NEWS CIT 2017年11月号より抜粋