※本文中の役職等は取材当時のものです。

IoT時代へ知財戦略 特許バイトが縁、本業に

「卒業研究では徹夜もした」と渡辺さん
「卒業研究では徹夜もした」と渡辺さん

日本弁理士会会長

渡辺 敬介(わたなべ けいすけ)さん

(昭和50年 機械工学科卒)

 知は財を生む。そのエキスパートが、発明、考案、意匠、商標、著作物などの知財の保護と活用を司る弁理士。職能集団である日本弁理士会会長、渡辺敬介さんは東京・霞が関にある同会のオフィスで、「特許は量から質の時代へ変わりつつあり、われわれのスキルを高め、出願を中小企業へ広げたい」と意気込みを語った。

 弁理士になって足掛け30年。日本弁理士会常議員、副会長などのほか、財務省関税局専門委員といった公職を勤め、今年4月、会長ポスト(任期2年)へ。所属する都内の特許事務所の席を温めるいとまなく「ほぼ連日、弁理士会へ出てます」と明るく笑う。

 千葉県佐倉市で生まれた。引っ越し、転校がものすごい。通った幼稚園は二つ、小学校が五つ、中学校も二つ。理由は銀行員だった父の転勤だ。千葉県をはじめ、山梨、栃木、東京と移り、中1の1年間は全寮制ミッションスクールで過ごしている。めげなかったところをみると、相当な社会適応力と言ってよかろう。

 当時実家のあった市川市内の私立高から本学へ進み、自宅通学した。サークル活動はせず、「強いて言えば、大分県出身で同じ科の友人の下宿を“雀荘”にした麻雀クラブ員でしょうか」。

 東京駅構内でのバイトは今でも印象深い。駅近くの駐車場に止めた清涼飲料の冷蔵車とホームの売店などを台車で往復、必要な数を補充して回る重労働だ。3年次。疲れて戻った自宅へある夜、友人から電話が入った。「製図の課題を明日までに出さないと留年だぞ、知ってるのか?」。

 友人の下宿へその夜、駆け込んだ。徹夜で仕上げ、難を切り抜けたという。持つべきものは友である。

 その彼らとアルミ合金板の破断実験(アルミ合金の小片を両側から引っ張って強度を測り、JIS規格と比較)をひたすら続け、卒業研究をパスした。「切れる瞬間のデータを記録するので目は離せず、徹夜もした」と少し遠くを見つめた。

 弁理士の世界との縁もバイトからだ。今なら就職戦線真っ盛りの4年生の春――当時、会社探しの本格始動は夏だった。父の知人を介して特許事務所で書類の整理やコピーに精を出していた。「キミも一度書いてみないか」。スタッフに励まされ、好奇心旺盛な渡辺さんはガスパッキングの特許に関する意見書と補正書にチャレンジ。

 特許はふつう「出願→審査→査定→登録」と進む。審査段階で新規性や進歩性欠如などの拒絶理由(特許法49条)に該当すると特許庁が判断すれば、「拒絶理由通知書」が届く。出願人は反論の意見書、発明の特徴的構成を是正する補正書を出す。指導されながら書いたのはこの書面だ。「あれ、特許になったよ」。しばらくしてそう言われ、びっくり。所長も「この仕事向いてるね」とほめ、卒業後そのまま今の事務所に腰を落ち着けた次第である。

 「それからがもっと大変でした」。弁理士への門戸(試験合格率)は知財人材増員のため今でこそ7~10%と広くなったが、30年ほど前は3~4%の超難関。法学、理学、工学にまたがる受験科目は広く、細かいので、予備校へ通うか、仲間でゼミを組んで備える。「10回以上受験しました」と渡辺さん。理系出身者は少なくない。

 液晶ディスプレー、プラスチック加工機械などの特許、実用新案に関わった。しかし近年、ドイツが「第4次産業革命」でオーダーメード商品開発への移行を唱えるなど知財のあり方も見直されている。特許でいえば日本国内の出願は減る半面、条約加盟国ぜんぶを対象にできる「PCT出願(国際特許出願)」が増え、係争(パテント・トロール)も国境を越えつつある。

 一方で埋もれた知財は少なくない。「特許出願件数でみると、民間会社の99.7%を占める中小企業からの割合は約15%。知財戦略をアドバイスし、利益が出るよう支援していく」。山歩きや50歳を過ぎて飲み仲間と始めた“おやじバンド”でギターを奏で、♪スタンド・バイ・ミー♫などを歌ってストレスを発散しつつ、知財セミナーや弁理士会の支部会合などで全国を奔走中だ。

NEWS CIT 2017年9月号より抜粋