※本文中の役職等は取材当時のものです。

地産地消 スーパー率いる

「あやふやは嫌い」と桐生さん
「あやふやは嫌い」と桐生さん

北雄ラッキー株式会社社長

桐生 宇優(きりゅう ひろまさ)氏

(昭和63年、工業経営学科卒)

 ビジネスの世界は消費者ファースト。北海道で食品を中心に35店舗を展開するスーパー「北雄ラッキー」(本社・札幌市手稲区)の社長、桐生宇優さんの話を聞いていると、そんな思いを強くする。大手スーパーを横目に、地域で生き残る独自の経営哲学といったらよいだろう。

 2015年3月、社長に就任した。社是は「日本一質の高いスーパーマーケットへ」。

 「北海道の食材はバラエティーに富み、魚介類の宝庫です。地域で取れたおいしく、鮮度のよいものを好みます。それを敏感に商品棚へ反映させ、食卓へ届けていきたい」

 まさに地産地消。地域に寄り添った戦略は、均一商品の量販を第一とする「チェーンストア理論」では真似できない点だろう。

 北雄ラッキーのルーツは、名誉会長である父・桐生泰夫さん(79)が1971年、札幌市内で起こした食品小卸売会社。82年に衣料を扱う会社と合併、現社名に。長男の桐生さんは跡継ぎと目されるはず。

 しかし、継がせる気も、数学や物理が好きで「コツコツとモノ作りがしたかった」本人も継ぐ気なし。札幌市で本学を受験し、最初の1年間をバンカラで名をはせる千種寮で送った。規律の厳しい先輩と2人部屋生活。相当な適応力だ。

 2年生から大学近くのアパートへ。卒業まで講義とバイトの日々を過ごした。4年の夏休みには、遊園地「豊島園」(東京都練馬区)へせっせと通った。園内の軽食スナックをフィールドにした卒業研究のテーマは「ソレイユスナックの原価管理」。

 仕入れ原価、売り値、労働時間、人件費などを積み上げていく。ストップウオッチ片手に従業員の動線を追いかける。同じ研究室の3人チームで、店の仕事も手伝いながら。その結論。「作業時間を減らし、人件費を抑制できる。工場経営と同じ」。なにやら、いまの仕事と相通じるようでもある。

 このころ、世はバブル景気(1986~91年)に浮かれていた。それに引かれたわけではないが、卒業後に選んだのは山一證券系列の山一情報システム。ところが、コミュニケーション力を買われ、「営業向き」と同證券秋田支店へ配属されたのは88年のこと。システムエンジニアとはおよそ無縁の証券マンとして。

 株のネット売買などが話題にのぼり出し、「パソコンに強いので、お客さんの相談によく乗った」。奥さんを見初めたのも同支店である。が、禍福はあざなえる縄のごとし。バブル崩壊の暗雲が漂い、父の元へ。「苦労するぞ。やめとけ」。反対しつつ、迎えてくれた。

 スーパーは肉、野菜、酒など品目ごとにバイヤーを養成する。北雄ラッキーは現在10部門。移った91年からほぼ10年間、桐生さんは魚部門で修業した。漁港、季節で上がる魚介類は違う。市場を歩き、棚での売り方に知恵を絞りつつ仕入れていく。食肉専門学校へ通ったこともある。決して楽な仕事ではない。

 お陰で魚の目利きのみならず、包丁さばきも板についた。いまや魚料理にかけては雑誌の「晩酌レシピ」特集を飾るほどの腕前だ。2016年には自宅庭に耐火レンガのピザ窯も作った。

 一方でフルマラソンを走ってストレスを発散するスポーツマンでもある。

 会社の年商は約435億円、パートを含め従業員は約2500人にのぼる。販売部長(役員)などを経てトップになったが、桐生さんは「次の六つのマーチャンダイジング戦略を柱にしています。少子高齢化で消費者の胃袋はますます小さくなりますから」。

 ▽新鮮でおいしい▽他の店にはない、ちょっといいもの▽「食の安全」をモットーに健康によい▽食べやすいよう小分けにパック▽量産品も売っていく▽地域密着型の商品――と視野は広い。品ぞろえのカテゴリーも食材の特長や各国の料理法などを念頭に細分化していくという。

 「あやふやなやり方が嫌いなんですね。理論立っていないとダメで」。経営には合理性を尊ぶ理系マインドがフィットするということなのだろうか。

NEWS CIT 2017年1月号より抜粋