※本文中の役職等は取材当時のものです。

長野の星空が原点 迷わず「光学」の道へ

長野の星空が原点 迷わず「光学」の道へ
「ぜひ頑張って」―メテオ計画にエールを送る関さん

株式会社コシナ取締役

関 敦夫(せき あつお)氏

(昭和57年、精密機械工学科卒)

 満天の星に魅せられ、レンズの世界へ―光学機器製造メーカー「コシナ」取締役、関敦夫さんは趣味を仕事にしたような人である。しかも同社のレンズは国際宇宙ステーション(ISS)で使う本学惑星探査研究センターの流星観測用カメラ「メテオ」に搭載されて今年3月、高度約400キロの軌道へ。まさに夢は天翔る―。

 3月23日(日本時間)、長野県中野市の「コシナ」本社。社員ら10人ほどがパソコンを食い入るように見詰めた。画面には米宇宙航空局(NASA)によりISSへ向けて米フロリダ州で打ち上げられた「アトラスV」ロケット。メテオを積んで過去2度失敗している。

 今回は見事成功。リアルタイムの配信画像に「やった!」と歓声が上った。

 「最初の打ち上げ失敗時、カメラがテレビニュースで紹介された。見れば、うちのレンズが付いているじゃないですか。びっくりでした」(関さん)。これをきっかけに、会社として全面協力を申し出、改良版が宇宙へ飛び立ったわけだ。

 関さんの生まれた長野市の夜空は美しい。小学生のころから天体望遠鏡をのぞいた。天文少年は高校生になって一眼レフを手に星を撮影、フィルムの現像などもお手のもの。「だから迷わず精密機械工学科でしたね」。

 千葉市内のアパートで4年間過ごした。囲碁や将棋のサークルをのぞいたりしたが、ずっと無所属だ。が、関心は常にカメラ。一眼レフカメラを片手に都内の名所を撮影に巡ったことも。費用のかかる機材、交通費などはデパートの深夜模様替えのバイトなどでひねり出した。

 学科の研究室には暗室があった。その暗がりにラジカセから流れたのはかってのアイドル、薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』(1981年)。「形状記憶合金」という当時としては走りのテーマの卒業研究をへて、故郷のコシナに入った。

 レンズ加工を柱に1959年設立された若い会社である。光学ガラス開発・製造の小布施事業所(小布施町)を皮切りに、飯山事業所(レンズ研磨、飯山市)、中野事業所(カメラ・交換レンズ組み立て、中野市)などを歩いた。レンズの素材であるガラスの自動重量選別機を独自に考案している。

 この間、本社で労務・人事も担当。学生には「基礎学力を。それと英語を話せるように」とアドバイスする。2015年、小布施事業所長となり、今年取締役についた。全社員約500人のうち、本学OBは2人。

 同社は開発・設計から製造・販売までの一貫システムと、そこから生まれるハイエンド光学デバイス(高性能・高級品)にこだわる。実力は世界有数の光学機器メーカー、ドイツ・カールツァイス社との共同開発・販売の締結(2004年)で立証ずみだが、その技術力が大気圏へ突入する宇宙の塵や流星の成分をISSの窓越しに約2年間も長期連続観測するメテオへの採用につながった。

 使われたのは、「F0・95、焦点距離10・5ミリ」超広角レンズ。F値が小さいほど明るく写り、微弱な光をキャッチできる。宇宙飛行士が回析格子(板状のガラス)をレンズに簡単かつ正確に装着するための特別な機構を新たに搭載した。「ぜひ頑張って成果を」と、関さんは天空へエールを送る。

 一方で、カメラの世界はどんどん電機製品化しているといわれる。半導体がフィルムを席巻したデジカメ、それに拍車をかけるスマホの登場。「でも被写体情報の入り口であるレンズだけは残る。それに当方はプロやマニア向けの高級品。さほど影響はありません」。関さんは淡々としたものだ。

 趣味はいまも写真。地域の愛好者とクラブを作り、シャッターを押す。「学生時代に撮った堀切菖蒲園(東京都葛飾区)のショウブの作品を家に飾っています」。35年前の自分と対話しているのだろう。

NEWS CIT 2016年5月号より抜粋