※本文中の役職等は取材当時のものです。

福島第1原発で凍土壁工事を指揮 誠実に、淡々と

世界で尊敬される技術に携われるのは「幸せ」と米田さん
世界で尊敬される技術に携われるのは「幸せ」と米田さん

ケミカルグラウト株式会社常務

米田 国章(よねだ くにあき)氏

(昭和51年、土木工学科卒)

 世界注視の中、東京電力福島第1原発で廃炉に向け一進一退の作業が続いている。難題は原子炉建屋へ流れ込む大量の地下水。放射性物質の汚染水タンクは増えるばかり。凍土壁で水を遮断しようと取り組むケミカルグラウト株式会社(本社・東京)の現場責任者が米田国章さんだ。「ケガや被ばくに注意しながら安全第一で進めるだけです」。理系人間らしく口調はクールである。

 役員を経て東日本大震災のあった2011年、常務に。環境地盤改良本部長兼福島出張所長の責も担う。福島の現場では、壊れた1~4号機を深さ約30メートル、厚さ約2メートルの凍土壁でぐるりと囲む工事をこの2年近く陣頭指揮してきた。土を凍らせ、地下水流入を止めるのだ。概ね凍結管の設置は終えた。

 「原子力規制委員会の許認可が出次第、運用を始める。昨秋までは月のうち半分は福島でしたが、これからは東京で仕事をする時間が増えるでしょう」。今後の運転・保守は気になるものの、いくぶんかホッとした表情がのぞいた。

 道産子である。競走馬産地で知られる浦河で生まれた。大工だった父を見て育ったせいか、アウトドア系の仕事をと、土木工学を選んだ。東京の会社勤務の長兄のアパートに半年ほど居候のあと市川市のアパートへ引っ越した。

 クラブ活動などはとくにしなかった。そのぶん、配達や倉庫の荷運びなどバイトに割いた。そのお金はオーディオ機器へ。70年代に流行ったアメリカンポップスなどにはまったという。

 いまでも鮮明に覚えているのは、3年次の測量実習。学年全員で長野県・千曲川の堤防を歩き、各班400~500メートルを実測し、図面に落とした。1週間ほど民宿に泊まり、江戸時代、全国を歩いて日本地図を作った伊能忠敬の気分の一端を味わった。「楽しかったですね」。

 土質の研究室に属し、物性の実験に興味を引かれたという。夕暮れともなれば、教官はやかん酒をふるまい、交流。夏休みを終え、持参した土産を肴に、各地の民謡なども飛び出してにぎやかに過ごしたらしい。

 「えっ、わたし? 歌は苦手ですが、北海道出身の仲間と一緒に歌いましたね。むろんソーラン節です」

 卒業と同時にケミカルグラウトへ。基礎地盤処理の専門会社だ。スーパーゼネコン「鹿島」(本社・東京)のグループ会社である。

 地下鉄、モノレール、トンネル、ダム、港湾など大規模構造物は、地下など見えないところを支える技術あってこそ。同社が開発した、高い水圧で地盤にあけた空間に固化材を充てんして地盤を強化する「ジェットグラウト工法」は世界的に定評がある。

 軟弱な地盤改良、地中を流れる水を止めるなどの都市土木、ダムなど山岳系と大別される分野のうち、都市土木畑の米田さんは北海道から九州まで各地の現場を歩いた。日系企業の受注した地下鉄工事に関連して4年間、台湾にいた時に役員に。その3年後の2009年からブラジルに3年半滞在、現地法人を立ち上げている。この間、常務へ昇格。いまブラジルの責任者は後輩の藤井健さん(昭和56年、土木工学科卒)。更に業績を伸ばしている。

 2014年夏、福島を任された。1メートル間隔で計1400本の凍結管を埋め込む。放射線を防ぐ重さ7~8キロのタングステンベスト(チョッキ)、タイベックスーツ、フルフェイスマスクなどに身を固めて。「少しずつ線量は落ちてきたが、夏はフルフェイスマスクの内側に汗がたまるんですよ」。過酷な作業に一時は協力会社を含め450人も関わり、職員のストレス解消に気を配ったという。

 「あまり頑張り過ぎず、淡々とこなしていく―これが信条です。幸いなことに、これまで大きなトラブルはないが、これだけの大規模な凍結工法は世界で初めてですから。いまマンションの杭が問題になっているが、見えない部分こそ誠実にやる必要がある。信頼です。社のポリシーでもあります」

 社員約300人のうち本学OBは12人。世界で尊敬される技術に携われるのは「幸せ」と喜び、自宅の大型スクリーンで映画を見てリラックスするという。

NEWS CIT 2016年1月号より抜粋