※本文中の役職等は取材当時のものです。

ゲノム解析 最先端
核磁気共鳴装置 NMRを支える

「学園祭のおもちつきは楽しかった」…
「学園祭のおもちつきは楽しかった」…

理化学研究所NMR施設技師

清宮 恭子(せいみや きょうこ)氏

(平成14年、工業化学科卒)

 医学、薬学、農学、工学など産官学の垣根を超えて先進国の研究者が日夜しのぎを削るゲノム(遺伝子)解析の世界。理化学研究所(野依良治理事長)はわが国におけるその最先端組織だが、本学工業化学科出身の清宮恭子さんは、横浜キャンパス(横浜市)にあるライフサイエンス技術基盤研究センターのNMR利用支援特別ユニットで技師として活躍している。

 京浜港(東京湾)に近い広大な横浜キャンパスは、生存の基盤である生命と環境について、さまざまな側面から研究を行う三つの研究センターが並ぶ拠点である。とりわけライフサイエンス技術基盤研究センターのNMR(核磁気共鳴装置)施設はユニークだ。天文台のような10の銀色ドームが花びら状に配され、内部はすべて木製。それぞれの中央にUFOと見まがう高磁場を発生させるNMRが1~2台、計15台ある。たんぱく質など試料の溶液を入れたガラス管をセットし、磁気によって構造を解析していく。世界に誇る規模である。

 「金属を近づけると吸い寄せられます」と清宮さん。ヒモに結んだキーをNMRと床の間の空間へ差し入れると、宙にフワリと浮いた。スピルバーグ監督の米SF映画「E・T・」を観るよう。そのメンテナンスに神経を使い、研究者を支える。

 千葉県佐倉市で育った。「化学に興味を抱く“理系少女”」(清宮さん)で、家から通える馴染みの本学へ。クラブ活動はしなかったが、学友会の催す学園祭恒例のもちつきイベントなどに参加。つき上がりの時刻をたくさんの入場者が聞いてくる。「すごい行列になるんです。楽しかった」。

 講義の合い間に塾講師や、幕張(千葉市)に本部のある放送大学の期末考査の答案整理をした。学期末の2~3週間という期間限定ながら、よいアルバイトだったようだ。

 清宮さんがキャンパスライフを送っていた時期、たんぱく質の構造解明あるいは原理的にNMRと同じ「核磁気共鳴画像法(MRI)に関する発見」(2003年)がノーベル生理・医学賞に選ばれるなど、花形の領域は細胞レベルへと進化していった。そんな時代の空気を吸い、3年次に河合剛太教授(構造生物学)のゼミへ。

 印象に残っているのは、ゼミ生や同門のOBが参加するテニス合宿。和気あいあいとした家族ぐるみの集いでリラックスしたという。

 卒論研究には骨を折った。ターゲットはHIV(エイズ)ウイルスの分子構造。すでに遺伝子配列は解読されている。しかし、発症をブロック(阻害)するには、遺伝子を形作る構造の弱点を究明する必要がある。コンピューター言語を一から勉強し、研究室のNMRではカバーできない実験は、2000年発足した理研横浜研究所(当時の名称)へ通って機器を使わせてもらい、習熟していった。

 その成果は恩師らと共同で日本核磁気共鳴学会、日本生物物理学会などで発表されている。「でも、私は研究者というよりサポート役の方が向いています」と謙虚である。そして推薦もあって卒業と同時に「科学者の楽園」(朝永振一郎)といわれる理研へ。

 NMRは高磁場で車体を浮かせ超高速走行するリニアと同じく、超低温の環境が必要だ。そのため値段の高いヘリウムなどを大量に用いる。「蒸発して量が減ると、高磁場を維持できなくなり、ストップしてしまう。故障予防には細心の注意が必要で、音や振動の変化にも用心しています。NMRの管理を担当するスタッフは4人ですが、1日20回くらい呼び出し電話が鳴ることもあります」と清宮さん。創薬や治療法につながるわが国屈指の装置だけに、企業など外部の研究者も少なくない。

 休みは家で手芸などで気分をまぎらわせる。「夢は、『理研のNMR施設があったから、この発見が出来ました』と言ってもらうことです」。で、もし故障して夜に呼び出されたら? 「そのときは朝まで待ってもらいます」と明るく笑った。

NEWS CIT 2014年1月号より抜粋