※本文中の役職等は取材当時のものです。

創造・行動・スピード
世界を飛び回る

「もっとハングリー精神を」と山本氏
「もっとハングリー精神を」と山本氏

サンデン(株)社長

山本 満也(やまもと みつや)氏

(昭和50年3月、機械工学科卒)

 ヨーロッパでは独アウトバーンなど高速道路を豪快に疾走する車をときに見かける。むろん窓なぞ開けていられない。代わって必要なのがカーエアコン。気温の高い国では、車内の人間を熱中症から守る必需品とさえ言ってよいだろう。その基幹部品であるコンプレッサー製造・販売で世界シェア25%を誇る「サンデン」(本社・群馬県伊勢崎市)社長に6月就任した山本満也さんは、忙しく国内外を飛び回る。

 島根県の中部、江津市で高校まで過ごした。3人兄弟の末っ子。8歳上の長兄も同じく本学機械工学科卒だ。「県東部の出雲地方は関西弁になじみが深く、江津のある石見地方はどちらかといえば東京弁が強い」(山本さん)こともあり、迷うことなく本学へ。津田沼キャンパスの近くに下宿した。

 金属加工を研究テーマに選んだ。とくにネジやボルト。住宅から車、橋脚、おもちゃに至るまで、用途は多様。愛知県知多半島にあるファスナー工場での実習、その帰りに旅した信州など思い出は多い。が、印象深いのは研究室対抗のソフトボール試合という。ビールを賭ける。むろん払うのは負けた方。「なんど勝利のビールを味わったことか。でも、かっ飛ばして3号館の窓ガラスをよく割りましたね。えっ、卒論のテーマ? う~ん、いますぐ思い出せないなぁ」と、インタビューした東京本社応接室で明るく笑った。

 就活はのんびりしていたという。4年生の夏休み、里帰りの寝台車中で三共電器(「サンデン」の前身)が画期的な車用コンプレッサー(冷媒圧縮機)を開発・量産化するとの記事を週刊誌で読んだ。そのあと兄の知人からも紹介を受けた。閃くものがあり、応募したところ採用に。

 配属先は技術畑ではなく広島支店だった。そのころカーエアコンはいまのように工場でのライン装着ではなく、1台ずつ別売りの後付け。車メーカーの系列ではない同社は、独自の販路を足で広げるほかない。山本さんはサービスエンジニアとして中国地方5県の自動車メーカーや整備工場を文字通りグルグル回った。

 東京へ転勤後もこの経験を財産にビジネス開拓に奔走した。そして、日本車の大量輸出で過熱する日米自動車摩擦の解消に米国へ工場進出した車メーカーとともに部品会社も渡米、山本さんは1990年デトロイトへ。初めての外国暮らしだが、仕事のやり方は日本と同じだった。

 「相手は”カタログ”としゃべっているのに、僕には”キャデラック”って聞える。”マクドナルド”も”マグダーナル”だから、どうにもならない。でも、たしかに自動車産業の街は荒廃していた」。苦労したらしい。5年勤めた。

 帰国後の2001年に執行役員となり、こんどはヨーロッパを任された。バルセロナ五輪(1992年)を機にカーエアコンの装着率は上がりつつあったが、英国ロンドンを拠点に欧州車メーカーへ売り込み。人間、一度エアコンの快適さを体感してしまうと、手放せなくなるらしい。「文化の違う現地のスタッフをまとめるのが一苦労でした」と山本さん。サンデンのシェアは最高45%へ達した。それにしても、なかなかの凄腕である。

 同社は冷凍・冷蔵ショーケース、自販機の製造など幅広い事業を手がける。トップとして国内と国外、そして社内とほぼ三分の一ずつを過ごす。「創造」「行動」「スピード」を信条に、社内時間の半分は会議というから、席の温まるひまはない。「休みは散歩やゴルフで気分転換です」。一時80台だった腕前は、いま少し落ちて90台とか。

 4年前、用事で近くまで来たついでに津田沼キャンパスを歩いた。「ずいぶん変わってましたね」と懐かしそうに話す。しかし、現代っ子にどこか覇気を感じられないことに「いささか日本の将来が心配」とも。「外国をひとりでフラッと旅してみようかという行動力、好奇心、ハングリー精神をもった若者がもっと欲しいですね」と熱いエールを送っている。

NEWS CIT 2012年11月号より抜粋