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※本文中の役職等は取材当時のものです。

“なにごとにも謙虚であれ”
「縁の下の力持ち」を実践したい

“同窓会会長指名”にも意欲的な一瀬氏
“同窓会会長指名”にも意欲的な一瀬氏

東洋熱工業(株)専務取締役
千葉工業大学 同窓会会長

一瀬 英貴氏

(昭和42年 機械工学科卒業)

 今年6月に開催の同窓会通常総会で、13年間会長職をやって来られた奥田實会長の後を引き継いで、7代目の会長に就任した。

 現在、東洋熱工業(株)専務取締役。同社はオフィスや学校、病院、博物館のほかに半導体関係の工場、スタジオなど空調関係の設計施工の仕事が専門。このほかに、木材チップを原料とした硬質チップを製造している子会社の東北ホモボード工業(株)社長も兼任していている。

“付き添い試験”で合格

 「私は昭和42年入社です。当時、建築学科の友人が“この会社に入りたい”と言うので、付き添いがてら試験を受けたら、私が合格してしまいました」と語る。3年時に体をこわし、4年生で教諭になろうと教職課程を取ったほどだった。

 入社当時は、社員は100人、年商70億円の会社だった。今年で創業70年を迎えるが、旧海軍や旧陸軍の技術将校たちが創業した会社で、現在はNASAの技術を取り入れ、病院のクリーンルームなどのシェア率は約8割を誇る。「どんな会社かも知らずに入ったんです。人の運なんてわかりませんね」。入社後は、工事の工程とお金、工期施工図作成から図面のチェックなどの建築現場の施工管理を受け持った。

米国で国際入札を経験

 昭和56年からは、グアム島の子会社の責任者として赴任。その後、米軍施設の施工の仕事を13年続けた。「当社はゼネコンとして登録していて、米国の国際入札を経験しました。当時は手探りのスタートで裁判問題が多くありました」。例えば、品物が仕様書と『合っている』『合っていない』といった日米の見解の相違が裁判になった。「それでも米軍管轄の裁判は第三者の考えで公平だった」と当時の印象を語る。その後、グアム島から東京本社副本店長兼海外担当責任者に戻った。いまは経営統括本部長の職にあり、経験から「最近は裁判により、第三者の判断を仰ぐように指導しているくらいです」と語る。

大きい『少子化問題』

 同窓会に関わるようになったのは、「東京に戻った時、大学の芹川兵衛大学事務局長からお誘いを受けてからお手伝いするようになりました。まさかと思いましたが、奥田会長から指名されて引き受けました」とそのいきさつを話す。いま同窓会としても、やはり少子化問題と大学の存続が大きな問題。「大学とPPA、同窓会が一緒になって地域を盛り上げることも大切ですが、40代のOBを中心に“縁の下の力持ち”として、各支部事務局に力を入れることが必要だと思います」と意欲的だ。

 「面白い会社で、入社3日目で男子は3日間の自衛隊体験入隊をさせられました。この体験は、団体意識を持たせることを体で会得し、一番の成果は声を出すことですね。いまもわが社では続けています」と言う。

 これまでで一番驚いたのは、完成間近の霞ヶ関ビルで仕事中に大きな地震に遭ったことだ。「部屋の机がぐら~ぐら~とゆっくり揺れ、鉄骨の擦り合う音はなんとも不気味でした」と当時の模様を話す。また、「当時東京の山谷から労働作業員を雇ったのですが、彼らは昼休みに英語やフランス語の原書を読んでいたのには驚かされました。仕事だから、皆言うことを聞いてくれるんだなと思い、いろいろ勉強になりました」と語る。

よく聞いて、意見を述べよ

 一瀬さんは、山梨県の甲府一高出身。入学後は一人で下宿生活を経験。同時にワンダーフォーゲル部に所属し、2年生までに丹沢をはじめ奥秩父、浅間山、北アルプス縦走を経験した。

 後輩には「自分の存在をどのように認めてもらうのかを考えてほしい。“人の話しをよく聞き、自分の意見を話す”ことを養ってもらいたい。それに、多くの本を読んでもらいたい」と、アドバイスしている。

 生活信条は『なにごとにも謙虚であれ』。「自分が偉ぶっても、周りが認めてくれなければ駄目ですから」。趣味はゴルフ。「以前はよくやりましたが、いまは楽しい仲間と月に1~2回程度です」と笑った。

NEWS CIT 2006年8月号より抜粋