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※本文中の役職等は取材当時のものです。

“ゼロからのスタート”が業界トップへ
「夢は必ず実現する」

「自分で良い出会いを・・・」と上野保氏
「自分で良い出会いを・・・」と上野保氏

東成エレクトロビーム(株)
代表取締役社長

上野 保(うえの たもつ)氏

(昭和37年 工業経営学科卒業)

 新潟県親不知(現・糸魚川市)生まれの上野さんは、糸魚川高校から本学を受験。「父親が電気技師だったので、電気工学をやりたくて電気工学科を受けましたが、最後にひっかかったのが工業経営学科でした。希望しない学科でしたが、入学してみると、とても面白くて、非常に良い出発ができました」と語る。

 だが、大学を卒業して入社した会社は、8月に破綻し経営者が代わった。卒研の先生のアドバイスもあり、「3年間は勤めてみよう」とそのまま勤めた。会社では、機械現場から日程係、機械技術員、資材、生産技術と多くの部署を経験。新技術の事業部長、子会社の役員・社長、電子ビーム部長と15年間務めた。

自前の工場建設を志しに

 退職した昭和52年に部下2人とビーム溶接専門会社を設立。定款作りから始め、貸工場をやっと東京の瑞穂町に決めた。30坪の工場に中古の機械が一台、お客様ゼロからのスタート。すべてが初めてのことで、電話帳を見て企業をリストアップしてアプローチする。「飛び込み営業でした。新しい技術を売り込みに行っても加工技術や開発技術の人に辿り着くまでが大変でした」。やっと開拓できても機械の故障で、何日も会社に泊まり込んだことも…。「3年間は1日も休まなかった。雪国の生まれで、健康には自信があり、堪えるのには慣れていました。“10年で自前の工場を建てたい”との高い志があったから、苦労とは思わなかったですね」。

 会社は、4年目から軌道に乗り、仕事が追い付かず、2台目の機械を設置。電子ビーム専業だったが、昭和58年からは、大気中で溶接できる新技術のレーザーを取り入れ、出力の大きい日本で最初の3キロワットのレーザー装置を設置。これで溶接と焼き入れをターゲットにし、その後、CO2レーザー(炭酸ガス)加工機を使った加工サービス、文字を書くレーザーマーキングという新しいレーザーも手掛けた。

 いまでは、本社・工場を東京都西多摩郡瑞穂町高根に、羽村工場を東京都羽村市に構え、従業員90人で操業。ビーム溶接機は10台、レーザー各種加工機は40台を備えて、電子ビーム溶接、レーザ溶接、レーザ加工、ウォータージェット加工などの各種受託加工や材料試験、電子顕微鏡試験、マクロ試験などの試験検査受託などの事業をしている。「もちろん、オンリーワンで業界トップになりました」と上野社長。

 上野社長の手腕で、高く評価されているのが、中小企業との連携。他の中小企業に対して、「私どもの会社は電子ビームとレーザーの会社、あなたの会社で電子ビームなど加工の注文が来たら協力します。その役割がコーディネート企業なのです」と声を掛けて、きちんと中小企業同士の連携をはかっている。平成8年の中小企業白書で同社は紹介され、上野社長も「平成11年に中小企業基本法の抜本改正で、大企業と格差がないところまで来ている」と前向き。

 いまでは国産のF15ジェット戦闘機の特殊工程認定を受けてエンジン部分の製作に大きな役目を果たしている。アメリカのジャンボジェットエンジンの部品加工にもその技術が使われている。ホンダのF1にも寄与している。

 上野社長は、昨年、早稲田大学ナノテクノロジー研究所客員教授、長岡技術科学大学客員教授に就任。経済産業省「産業構造審議会」委員や中小企業庁「中小企業政策審議会」委員などを務めている。また、「2004年日経ものづくり大賞」、「東京都産業功労賞」、(株)本田技術研究所の「開発技術賞」なども受賞。

世界に通ずる組織づくり

 「最先端の加工技術の試作開発のお手伝いや量産もお受けする会社です。大学とは10年前から産学連携をやっています。また地域と連携して、広域の強者連合、各地域でオンリーワンの会社との連携。この連携にはコア企業の役割が重要であり、広域の強者連合という世界に通ずる組織づくりもしています。最近、中小企業新事業活動促進法(略称)という新しい法律が公布され、この考え方がヒントになり、どんどん広まっています」と自信を深めている。

 座右の銘は「夢は必ず実現する」。大学では寮生活を経験。3年生までに、ほとんどの単位を取得。「4年の時は卒業研究だけをしていた」という。趣味は手打ちそばづくりと素潜り。それに六段の腕前の囲碁と二段の将棋。

 後輩たちには「本学は素晴らしい大学。バイタリティー溢れた人材が多い。自分で良い出会いをつくってほしい」とアドバイス。最後に「東京で成功したいから社名に東成とつけました」と笑った。

NEWS CIT 2005年6月号より抜粋