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  • 『人は財産なり』がモットー 父親のいいつけ守り、第一線で活躍中

※本文中の役職等は取材当時のものです。

『人は財産なり』がモットー
父親のいいつけ守り、第一線で活躍中

人の出会いを宝に――と語る南社長
人の出会いを宝に――と語る南社長

トナミ運輸(株)社長

南 義弘(みなみ よしひろ)氏

 南義弘氏は、本学第一回卒業生76人のうちの一人。「昭和18年に学徒出陣になったが、医科・理工系だけはしばらく残れということで・・・・・・それで生き残ったわけや」と苦笑いで当時を振り返る。

 昭和22年に本学冶金科を卒業した南氏は、戦後まもなく食糧増産等のため、開拓地を必要としていた状況下で、国の機関である財団法人日本電気探鉱協会の依頼を受け、開拓地の地下水脈の調査を行うことになる。

 財団の解散後は、ビジネスとしての将来性を見込み、調査続行のための会社作りに没頭した。厳父からの援助金30万円を元手に必要な資金の調達に走り、持ち前の行動力と粘り強さで集まった資金は100万円以上。協力者にも恵まれ、昭和23年1月会社設立を現実のものとした。小切手も手形も見たことがない自身が専務として新会社はスタート。この間の“人との出会い”が、その後の南氏にとって大きな宝になったという――『人は財産なり』。

 トナミ運輸との関わりも、それまでに南氏が築き上げた人脈が導いたもの。昭和44年に監査役、48年に代表取締役社長に就任した。現在は、東京と富山を行ったり来たり。健康のポイントはよく寝ること。移動中は車でも電車でも飛行機でもよく眠る。

 趣味は「仕事」と「ゴルフ」。今、地元高岡商工会議所会頭は3期を終えて4期目に入った。富山県でも県交通安全協会や、県トラック協会の会長を務めている他、ついている肩書きだけでも60近く、忙しく飛び回っている。

 千葉工大に深く関わる事になったのは昭和35年頃から。当時、学内問題で揺れていた本学で、理事として問題の対処にあたった。また、全国に吹き荒れた学園紛争が下火になりかけた45年頃には、学内でキチッとした“同窓会”をという声に立ち上がり46年、47年と同窓会会長に。「その時代に同窓会がまとまり始めたのに、トナミを引き受けることになり48年には辞めさせてもらった。でも、選挙で票が集まらなかったかも・・・・・・(笑)

 経済も社会も大きく変わりつつあります。これからは技術者がモノを言う時代、工大生には工学部で学ぶことにプライドを持って頑張って欲しい」。

 上場企業で23年間も社長を務めている秘訣は「100歳まで元気だった親父のいいつけを守って、嘘をつかない、くよくよしない、いつもニコニコ朗らかに・・・・・・経営は結果がすべてですから良い結果を出し続けてこれたからかも。親父同様100歳まで元気でいくつもりですよ」と快気炎をあげていた。

NEWS CIT 1998年7月号より抜粋